先日、大学に息子を迎えに行くと、

明らかに泣いた後、という顔で帰ってきた。

またなにか辛いことがあったかな、

なにか出来なかったかな、と気にはなった。


けれどこういう時、

息子から話すまで私は知らん顔と決めている。

話したかったら話すし、

そっとしておいてほしいかもしれないと思うから。


この時はすぐに話し始めた。


2年になって、

学部長?の授業を受けている。

1年の時はオンラインだったので直接話すことはなかったようだ。


この日は授業終わりに、

先生に話をしにいったらしい。

授業自体は3回目くらいだと思うけれどその時初めて。


先生に声を掛けると、


いつ話にしてきてくれるのかと待ってた、と言って

抱きしめられたらしい。

息子の病気のことは大学には全て伝えているため学部長ももちろん知っている。


抱きしめて、

頑張ったなー!と言ってくれたそうだ。

病気になってから涙脆い息子はそれだけでも泣きそうになったようだが、他の生徒もいたので堪えたらしい。


そのあと先生とゆっくり話をする中で、

出来ないことがいっぱいあって、

将来が不安で、

なにをどうすればいいか、

この先どうしたらいいのか、

自分で決めなければいけないのはわかっているけれど、

どうしたらいいのかわからない、


といったような不安をぶつけたようだ。

それに対して、

もちろん自分で決めなければいけない。

けれど、今はただ毎日を楽しめばいいんじゃないか、と言われて

初めて分かってくれる人がいて

気持ちが楽になった、

と息子は話した。


初めて分かってくれた人、

という言葉に、

悲しくなった。


退院してから、

息子の希望には反対せず

なんとか希望にそった方向へ、

息子が少しでも楽しく、

幸せを感じ

笑顔でいられるように、とフォローしてきたつもりだった。


なんでも、

やりたいと思うことは、やってみたらいいよ、というスタンスでいたつもりだ。


出来ると思ったのに、無理だった、

全然ダメだ、

と落ちこむ息子にも、

また頑張ればいい、

次がある、

と伝えてきたつもりだった。


ただ、

元々感情表現が苦手無上に

感情が顔に出ない私は


抱きしめて、

頑張った!!とか


泣く息子と一緒に泣く、とか


したことがない。



普段も、

口調がきつく


怖いお母さん


という息子の中のイメージは退院後更に強くなっていたのかもしれない。


記憶があやふやな息子の中では



寄り添ってくれた母



は、存在しないのかもしれない。

病気と手術のせいならば仕方ない、

と思う反面、


ずっと息子を第一に、

息子の心を一番に、

それだけを考えて過ごしたこの2年が、


息子には伝わっていなかったのか、

たった一度話して、

抱きしめて、

楽しく過ごせばいい、と言った先生が

息子にとって初めての理解者なのか、

と悲しく、

虚しくなった。



息子が元気なら、

笑顔なら、

それでいい。


そう思ってはいるけれど、



私が支えてやった!!


なんて思ってないけれど、

全ては私がしたくてしてきたことで

それはこれからも変わらないけれど、



息子の中で私は理解者ではなかったのか、と。



ただただ、悲しく思いながらも、



よかったやん!

いい先生がいて、



と笑った。



こんな時、

ママもそう思ってるよ?と言えばよかったのか、

分からず、


ただ、笑った。