その後も、

進路への不安を抱えながら毎日学校へ行く。


信じて今できることをするしかない。

試験を受けていない息子は各教科課題があり

単位をもらうためにはそれを全てやり遂げなければならない。

ずっと親身になってくれていた先生や、

仲のいい先生は、授業に出て十分すぎるくらい頑張った!と課題を出さないでいてくれたり。


大量に出された数学(大の苦手)の課題に至っては、担任がとりあえず全部書いて出せばいいから答えを写せ!とww

先生ももう卒業だけに向けて....


毎日毎日、必死に頑張った。


2.17

今日も旦那と学校へ。

担任と学年主任との話。

旦那抜きの話し合いも含めると私はもう何度しているか分からない。

病気が分かった時から、一時退院中も、今も

とにかく息子のために、と何度も先生に時間を取ってもらってきた。

まさかこんなにも高校に出向くなんて、病気の前は思いもしなかった。

小学校よりも中学よりも、

ダントツで先生と向き合う時間が増えた。


2.27まで学校へは通うこと、を条件にやっと校長の許可が降りたこと。

このあと校長が教育委員会に行くこと。

を伝えられた....


やっと、やっと息子の卒業が決まった。

とはいえ、

2.28が卒業式の予行練習、

3.1が卒業式。


2.28付けで卒業認定となる。

そこから調査表の申請をし、出来上がるまでに1週間ほど。




.......

あと少し早ければ私立の第一志望だった大学の最終にギリギリ出願が間に合ったがもう無理だった。

もう受けれる大学は一つしかなかった。

県内にありながら、こんなことになるまで存在さえ知らなかった大学。

ただ、幸いにも息子の希望に沿った学科がある。

家から通うのは息子の体力的に無理だけど遠くはない。

なにかあればすぐに駆けつけられる。

しかも、共通テストでお世話になった大学、

これも運命だろうか?



もう、ここに賭けるしかない。

あとは卒業認定を待って急いで願書を出す。

それまでは最後の最後まで息子は毎日毎日学校に通った。


2.27

1人きりの学校最終日。


料理が苦手な私の、

息子への最後のお弁当。


毎日毎日、お弁当作りが本当に嫌で

冷凍を詰め込むだけのひどい弁当を息子は一度も文句も言わず、ありがとう、と受け取って食べていた。


病気が分かって学校に行けなくなった時、

最後のお弁当が知らない間に終わっちゃった、と後悔した。


学校に戻って、

やっとまたお弁当を持たせることになった2月。

中身は変わらない、

冷凍必須のお弁当。


それでも、毎日

息子を思って詰めた。

1年前とは私の思い入れが違う。



明日、

卒業式の予行演習で友達と1ヶ月ぶりに会う。

友達が、息子も一緒に卒業式に出れる、と分かるのもこの時だ。


息子の病気のことはなんとなく、学年全体に知れ渡っていたし、

保護者も知っている人もいただろう。


息子が卒業式に出るのをみて、

反発もあるのかな?

なんで学校来てないのに、

なんで試験受けてないのに、

影で言われるのかな?

と気になった。


私が言われることが、ではなく

息子にそういう言葉が向けられたら、

伝わったら、という不安がほんの少しあった。



何か言われたら、

私が守ればいい、

きっと守ってくれる友達もたくさんいる。



明日は笑顔で卒業するだけだ。