2023.1.13
明日、明後日が共通のテストのため、
前日入りで試験会場の大学へ。
配慮申請後、高校と大学で話を詰めていてくれて
大学側から、会場の下見をしますか?と提案してくれた。
初めての場所は不安があるため、お願いして
午後から会場へ。
初めての場所は目が慣れないことと、
不安もあり、
いつもよりフラフラになる息子。
下見させてもらったのはよかった。
その後近くのホテルへ。
同級生たちは学校から別のホテルへ泊まっていて、最後の追い込み。
学校で手配したバスで移動する、
出来れば一緒に泊まらせてあげたかったが、配慮申請で試験を受ける場所も、試験の時間も違う。
別で仕方ない。
駅前のアパホテルを取っていたのでホテルへ行くと、
いかにもアパホテル!といった感じのギラギラの....
部屋に入ると、無料ランクアップのおかげか
広くて綺麗。
そして....やっぱりアパホテルw
駅前だから夜は食べに出ようと出ると....
居酒屋以外閉まっているか閉まる寸前...
なんとか小さな定食屋に入り遅めの夕飯。
明日は朝早くから夜まで1日中テスト。
結局一度も1日中学校で過ごせたことのない息子、
最後まで持つのか不安しかなかった。
1.14
朝から大学へ向かう。
不安で泣きながら大学へと着いた。
試験を受ける部屋まで荷物を運ぶ。
その部屋の隣に私の待機室を用意してくれていたが、一旦息子が試験会場に入れば私はもう接触できないとのことで、
なにかあれば連絡を頂くことになり、
昼にご飯を持ってもう一度来ることにして私は大学をあとにした。
時間割は世界史と倫理(だったと思う)
からの国語と英語。
国語(と英語)が得意科目な息子にとって、
この時間割はかなり不利だった。
国語までも体力が持つのか分からない。
配慮申請で試験時間も長い息子はお昼過ぎまで社会の時間が続くということ。
そのあと少しのお昼休憩の後、国語と英語で息子の時間が全て終わるのは19時近くになる。
問題が解けるかよりも、
体力が持つのかが1番心配だった。
昼にコンビニのおにぎりとお茶を持って大学に戻る。
試験を終えると息子は床に座り込んで動けなくなった。
試験官の先生に部屋の外からコンビニの袋を預ける。
息子には、
頑張って!
食べたら床に寝てもいいから少しでも体力回復させて。
と声をかけて私はまた大学を出た。
あとはもう、夜に迎えにくるだけ。
大学を出てそのまま調べていた神社に向かう。
なんのご利益があるのかよく分かってもいなかったが、神頼みくらいしかできない。
雨だったせいかモヤがかかってなんだかご利益ありそうな雰囲気。
その後はホテルでずっと待つことも出来ず、
車でブラブラして過ごし、
そろそろ最後の英語の試験が始まるかな、というタイミングで担任から電話が。
出ると、
国語の試験の後息子の様子を見に行ったらもう限界でフラフラになり、椅子に座っていることもできない状態だった。
もう諦めよう、と声をかけたら、
マークシートだから、問題が解けなくてもマークだけでもする。
最後まで受ける、と言うので.....
との連絡だった。
私が、分からんくても全部塗りつぶすんやで!
運がよれば当たる!
と言ったからだろうか....
私の言葉がプレッシャーになって、辞めることができないのだろうか。
申し訳ない気持ちになってホテルの部屋でただただ時間が過ぎるのを待ち、
早めに大学へと迎えに行った。
一般の生徒はもう帰っている。
息子の方にも、別室受験の子はいるのだろうか?
しばらく待って試験会場の部屋へ。
担任と学年主任もいた。
試験が終わり息子は試験官に抱えられながら出てきた。
もう1人で歩くどころか立つことさえ難しく、
まさに満身創痍、限界を超えている。
先生たちが両脇から息子を抱え、車まで付き添ってくれた。
そこで、明日の試験はもうやめておきましょう、という話になった。
元々文系で2日目の試験は息子には関係ない。
進学校で国公立受験のコースにいたため、全員受けることになっていて2日間で申し込んでいただけでもある。
息子も、明日はもう辞めておく、と納得したので明日はもうキャンセルすることにし、
大学には先生から伝えてくれることになった。
先生たちが、
頑張った、ほんとに頑張った!と声をかけてくれ、
私も涙が出そうになった。
ホテルへ向かう車の中で息子は、
午前中に体力がなくなって、1番得意な国語が全然出来なかった、と泣いた。
悔しい、
悔しいけど最後までやりきった、それだけで今は十分なんだ、と思った。
もう、ご飯を食べに出る体力もないので買ってきたものを部屋で食べて、
明日ゆっくり帰ろう、と眠りについた。
1.15
本来なら共通テスト2日目、
同級生は試験を受けている中息子と自宅へ戻った。