やっと、私もICUに付き添う。
術後なのでもちろん、また色んなものに繋がれているが不思議と不安はなかった。
ドクターへの信頼感がこんなにも私に影響するものなのだ、と思った。
もちろん、息子は辛そうだった。
頭痛も、高熱もある。
それでも、
事前にその説明を受けている私は、
あと10日の辛抱だ、と心にゆとりが生まれていた。
前の病院での経験もあり、
心拍が走っているのも、血圧を下げる薬のせいだとわかっている。
血圧もAラインの方がやたら高くなったが、これも何日かで取れるのも分かっている。
頭痛、高熱用の内服や点滴の間隔もわかっている。
ギリギリまで待って、ナースコールをして、点滴して貰えばいい。
長い入院への付き添いは私の心も、
対応も成長させていた。
転院のため、PCR検査から2日間は隔離室のような個室で、付き添うのも気分的に楽だった。
あとは、2日連続の手術、
その前の意識がなくなるレベルで体力もなくなっている息子の回復を待つのみだ。
リハビリはまた一からやり直しだなぁ...という焦りはあったけれど、
息子の命の危機を心配しなくていい。
とりあえず明日になるのを待って、
付き添いのこと、
息子のこと、
今後の治療のことを聞こう。
時折、目を覚まして
何かを訴える息子の言葉に耳を傾ける。
さすがに、今日も眠ることはできないけれど、
借りた簡易ベットで横になった。
5.8
日曜日の朝9時。
ロン毛のラフな格好のドクターがフラッと現れる。
だ、だれ??
Oです、と名乗られ、
昨日A先生から教えてもらった、チームのナンバー3のドクターだと気づいた。
見た目に反して←
色々と説明してくれ、話も聞いてくれた。
転院してきた時点でかなりの炎症の数値、
ヘモグロビンの数値も7と、普通の男性の半分程度。
昨日の輸血で今は8.3ということだった。
前の病院で血液検査を何度もしているのに、
貧血なのを聞かされていなかったことに、
??ってかんじで。
ここまでの数値になっている原因があるかもしれない(体のどこかで出血とか)ので、状態が落ち着いてから調べるということ。
息子は元々の脳室が小さめで、画像で見るより水頭症が酷かったのだろう、と説明してくれた。
その後CTを撮り、
その説明にはC先生が来てくれた。
CTは問題なし。
脳室の広がりもなし。
まだ交通性(髄膜炎など)の可能性も残されているので一応気にしておくが、1週間後くらいにMAXの頭痛、
それは新しく穴を開けて通り道を作っているので、それに脳が慣れるまで頑張らなければならない。
念のためドレナージは残しているが、安易にまたドレナージを開くと意味がないこと。
随時CTで確認しながらになること。
腫瘍マーカーはマイナス。
このあと脊髄などの検査、
目の検査、
PET、など検査をたくさん行うこと。
リハビリ、などで1ヶ月ほど。
その後、抗がん剤。
またCAREにするのか、ICEにするのかはまだ未定。
とのことだった。
11:30
熱は38℃、
暑くてアイスノンをもらっていたが、
その後寒い、と電気毛布。
PCR検査2回目。
16:00には39.7℃。
水よりもゼリー状の物の方が最初はいい、ということで、持ってきていたウイダーを飲ませた。
ちゃんと飲めて、おいしい、と言った。
前回は術後しばらく絶飲食だったので、それだけだもよかった。
熱は38.7-39.2℃
ギリギリまで待って解熱剤点滴、
20:45
心拍140-150(MAX160)震え、
それでも一応眠れていた。
私はもちろん、
シャワーのタイミングも逃し、
簡易ベットを横に置いて今日も息子の様子を見守るのみ。
息子が大事に握りしめていたボールペンは、救急の看護師さんからICUの看護師さんへ、
そして息子の手元に戻ってきた!
今も大事に自宅の机の中に....
(ただ、ボールペンを欲しいと言ったことも、術後探していたことも息子は覚えてない)