手術の説明もとても丁寧で分かりやすいものだった。
CT画像を元に(転院後撮ったものか、前の病院からのCTかは聞く心の余裕がなかったので不明)
画像を見る限り、第3脳室は広がっているのに第4
は正常です。
ここ(中脳水道)が詰まっていると思います。
非交通性で、希望の開窓術が可能です。
という内容だったと思う。
あんなに何度もCTを撮って、分からないと言われ続けたのに、
こんな簡単にわかってしまうものなのか。
術後に関しても説明してくれた。
1週間程度は40℃近い高熱が続くこと、
頭痛も1週間から10日は続くこと、
頭痛に関しては1週間後くらいにものすごい痛みのピークが来ること、
それを越えないとダメなこと。
(事前にこの説明を受けていたことで術後の不安はかなり軽減された)
そのあと、
開窓術のリスクも説明され、
不安にはなった。
でも、C先生に、A先生に、
助けてもらう以外選択肢はない。
よろしくお願いします、と頭を下げた。
このあとC先生はそのまま手術室へ行くそうだ。
16:00
息子の手術が始まった。
終了は夜になると聞いた。
旦那と交代で少し食べるものを買ってきて救急外来の待ち合いで食べた。
執刀医のA先生が目の前を通った。
声を掛けると、
無事終わりましたよ。
と言われた。
予定ではまだまだ終わらないはず....
聞くと、開窓術が終了した、ようで手術終了にはまだ時間がかかるようだった。
手術直後にも関わらず、
色々と丁寧に話してくれた。
入院の時点で炎症反応がものすごく高いこと、
貧血も酷いこと、も初めて聞いた。
肺炎もひどいこと。
色々酷いけど何も聞いてない?と言われた。
何も聞いてない....
PICCがものすごく汚いから取るよ、というのだけは
転倒した時に10センチだか抜けて入れ直したことを説明されてたのでそれは納得。
とりあえず気になるとこ、全部やります。ってことで輸血もあり。(この時したのか手術の後の一回だけだったのかは記憶曖昧)
私や旦那の、今までの不安や疑問。
東京と、田舎の医療格差、どうやっていい病院を見つければいいかわからなかった!という思いさえもぶつけた。
ブログで見つけた方に相談して、ここに辿り着いたことはC先生にメールで伝えていたので、
◯◯の知り合いなんだって?!
と言われて、
知り合いというか、ブログを見つけて、メールして色々相談して、
ここに来ました、と伝えた。
そのあと
お母さん、
お母さんの勘はやっぱり当たる、
母親の勘ってバカにできないから。
まさか昨日突撃してくるとは思ってなかったから、本当はとりあえず今日話を聞こうと思ってたけど。
それじゃあ間に合ってなかったわ。
ほんとにもうギリギリだった。
このままここにこなかったら、急変で(ほんとはもっと違う表現、敢えて自粛)死んでたよね。
今日が第二の誕生日だから、
息子が起きたらしっかり教えてあげなさい。
お母さんのおかげで助かったって。
そう言われた。
私のただ、漠然とした直感。
息子の顔を見て、
今回は絶対にやばいと感じ取れた母の勘。
行動してよかった。
世間知らずの非常識な親でよかったw
昨日今日だけで、
前の病院の3ヶ月半の入院中に主治医と会話したトータル時間を超えたと思う。
それくらいこの病院ではしっかりドクターと話が出来た。
それだけでここに来て良かったと思った。
息子に会えますか?という旦那に、
付き添いのお母さんは部屋に入れるけどお父さんは無理だから、
手術終わって出てきたら、CT(だったと思う)のためにここの前通るから、その時声を掛けてあげていいよ、と言ってくれた。
手術が終わったのは、
19時くらいだったように思う。
ベットのまま運ばれてきた息子。
駆け寄って、声を掛けた。
うっすらだが意識はあって、
声掛けには反応した。
そのあと、何か言って
なにかを探すような素振りをみせた。
なんだろうか?
なに、どうした?
痛い?
色々聞くがちゃんと答えは聞こえない。
ハッとした。
もしかして、ボールペン?
ずっと握ってここにきたはずだ。
手術室に持ち込めてるわけがない。
ボールペン?Hさんに貰ったボールペン?
と聞くと、うなずいた。
(写真は前の病院での息子とHさん、
ほんとに、ほんとに、この人の存在が前の病院での息子の支えだった)
旦那に聞いても、
ボールペンを握っていたことも気づいていなかった。
あとで、看護師さんに聞いとくね、と声を掛けて
息子はICU(多分小児用)へと運ばれた。
準備ができて呼ばれるまでお待ちください、と言われ、
結局呼ばれたのは21時。
1人で運べる量の荷物ではないので、看護師さんに相談して、
ICUの自動ドアの前までなら、と半分旦那に運んでもらった。
そこで、旦那と別れて、
旦那は前の病院の近くに取ってしまったホテルへ。
私はまた、いつまでか分からない付き添い入院が始まった。