検査検査の間に息子は無事高校3年生になった。


1月に病気が分かった時、

次の日に担任へ話に行き、

最悪、留年は仕方ないと思っています。

今は息子の命をなんとか繋ぎ止めるために親としてできることをします。

と伝えた。

その後鹿児島へ行く時も、

3学期はもう来れないかもしれない、

出席日数も足りなくなるかもしれません。

と伝えた。


担任は、

学校のことは心配せず、

〇〇のことだけを考えてください。

と言ってくれた。


学校のことは出来る限りなんとかします。


と。

高校1年もこの担任だった。

女の先生とはどうも合わない私は、苦手だな、と思ったのが第一印象で、

進学校なのに、勉強を全くしない、

宿題もしない、

下から何番目かの成績、

辞めたいとばかり言っていたし、それは担任にも伝えていた。

浮いた存在だった息子は担任からも苦手な生徒だろうな、と思っていた。

2年になって、また同じ担任だと分かって、

どうなるかなー、と心配だった。


それでもギリギリで2年になって、

仲の良かった子と同じクラスになってから学校に馴染んで、

やっと学校が楽しくなった、と話した。

保護者懇談で、伝えると、


学校でもやっと笑顔が見れるようになりました。

一年の頃は中学から聞いていたのとあまりにも違ったのでおかしいなと思ってたんですが、

今が本来の姿なんですね、と。


2年に上がれるかギリギリだったことも聞いた。

そんな息子を担任は常に気にかけてくれていた。


2学期が終わって、

そろそろ真面目に勉強する、と言っていた矢先

病に倒れた。


正直、そのまま留年でおかしくない生徒だったと思う。

けれど、担任はほんとに親身になってくれ、

ほとんど休んでなかったから、3学期これなくても出席日数はギリギリ足りてます。(ほんとに足りてたのかは不明)

成績表はなんとかします、と連絡があった。



あとから聞いた話では、

教科担当の全ての先生に担任が頭を下げてくれたそうだ。

勉強を頑張ろうとしていた、

今、大変な状況でそれでも頑張ってる。

試験は受けれないけれど、最大限考慮してほしい、と。


そして、腫瘍摘出手術直前進級が決まった。

本当に感謝しかない。


3年もこの先生が担任だと思っていた。

けれど突然、先生にも予想外の転勤が決まり、

私と息子は頼る相手を失った、と思った。



しかし息子のことは全て学年主任に引き継がれ、

クラスも、仲のいいこの子とだけは同じクラスに、と頼んで、担任は次の学校へ異動してくれていた。


今、息子が現役で大学生になっていること、

この担任と、

学年主任(のちにものすごくお世話になる)

3年の担任がいなければ実現しなかったこと。



1年で辞めたいと言った時、

あぁ、やっぱり別の学校にしておけばよかったと何度も思った。

本人が決めたことだったけれど、本人が決めるまで私は別の、ゆるーい高校を推していた。

勉強嫌いで、

やんちゃ系な息子がゴリゴリの進学校なんて向いてない、とほんとに心配だった。

けれど、この学校でなければきっと、

留年していたし、

そのあと辞めていたかもしれない。


息子は本当に人に恵まれている。

息子の周りには、本当に手を差し伸べてくれる人が多くいた。


担任が、

なんか憎めない子なんですよ、と息子のことを言ったことがある。

問題児だった息子だけれど、

なぜか人を惹きつける力のある子だと、

親バカだけど、

そう思う。



色んな人の助けを得られたのも息子の力。



息子の力と、

周りの支えに感謝しかない。