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ヤスシへ
 
 
 
昨日の夕方
少し長すぎた昼寝から起きたら
高校時代の応援団長より
6月30日の朝
7時15分にヤスシが亡くなったと
知らされました
 
 
家内に伝えた途端に
涙があふれ
そのあとは何をしても
ヤスシのことしか頭に浮かばず
 
 
但し
現状のボクの体力では
知らされた葬儀日程に
出向いてお別れを告げるのはムリなので
ココで
思い付くままに
お別れの言葉を捧げたいと思います
 
 
 
ヤスシとは
高校で出会って
一度も同じクラスになったこともないのに
一年の時の夏休み
数学の補修クラスで一緒になって以来
ボクにとっては大親友で
その気持ちは
今のいまでも変わっていないわよ
 
 
思えば
ボクの高校の思い出の中の
ほとんどにヤスシがいるし
ヤスシがいなかったら
ボクの高校時代はつまらなかったと思うよ
 
 
高校時代には
お互いの家に良く泊まって
酒を飲んだから
お互いの親にも良くして貰っていたのよね
 
 
遊んでばかりいた
大学時代も同じで
休みになったらやっぱり会って
飲んでいたし
 
一度ボクが東京に行って
ヤスシの住んで居た
板橋本町のアパートに一週間近く
滞在したこともあったけど
後に
ボクは仕事で
板橋本町に通勤することになった時には
不思議な縁を感じたよ
 
 
ボクの結婚式には
遠方の京都にもかかわらず
写真係を引き受けてくれたり
応援団長と一緒に応援エールをしてくれたり
ホントに
お世話になりました
 
 
おそらく
ヤスシに最後に会ったのは
ヤスシの結婚披露宴で
それ以降も
いつか会えるさ
今回の帰省で電話してみようか
そんなことだけ考えて
実際には会うことはなく
 
 
数年前だと思うけど
今回知らせてくれた応援団長と
酔った勢いで
夜中にヤスシの家に行こうということなって
タクシーを飛ばして行ったけど
真夜中の2時3時の非常識な時間で
「ヤスシ~!」とだけ
大きな声で呼びかけたコトを思い出すよ
 
 
年賀状だけは
毎年来ていたんだけど
数年前から
ヤスシから来なくなったことには気付いていて
年賀状を卒業したのだろうと思っていたら
一昨年
喪中のハガキは来ていたから
そうじゃないんだと
今年出したら
また年賀状は来なかったし
病気かもしれないとは思っていたけどね
 
 
さて
ボクも
昨年下咽頭がんが発覚し
放射線治療と抗がん剤治療の後
今年2月に
下咽頭がんの再発と肺がんへの転移で
明日の自分さえ見失いながらも
入退院を繰り返す治療で
生きながらえている状態です
 
 
そんな時に
ヤスシとのお別れは
ボクには少し堪えました
 
 
 
どこから
なにから伝えればいいのか
分からないまま
昨日から頭に浮かんでくることを
書き留めましたが
思い出はまだまだ尽きず
 
 
アップ事件とか
イギリス海岸イッチニ事件とか
ヤクルト鼻クソ事件とか
高校時代に
ヤスシから聞いた事件話は
今でも爆笑話だし
 
 
本当に
もう一度会いたかったよヤスシ
会って話がしたかったよヤスシ
 
 
でも
きっと長い間
ヤスシの方が
苦しいコトにも耐えて頑張ったのよね
 
 
それに比べて
ボクの苦しいことは
数は多くてもガマンできる苦しさで
ストレスが溜まるだけだし
もう少しガマンしてみるよ
 
 
だから
空の上での再会は
もう少し後になるからね
 
 
一昨日の夜
窓を開けて寝た時
一陣の風とともに
おばあちゃんか姉貴が来たんだろうと
思っていたので
 
冒頭のパチリのように
昨夜も窓を開けて
風になったヤスシが来るのを待っていて
何度もヤスシの夢を見たから
きっと来てくれたんだよね
 
 
これからは
窓が開いてなくても
ボクには見えなくても
いつでも会いに来て欲しいです
 
 
 
とりとめのない話に
終始してごめんなさい
 
 
 
では最後に
 
 
ヤスシ
ボクに出会ってくれて
ずっと大親友でいてくれて
ありがとうございました
 
 
ゆっくり
お休みください
 
 
 
んでな…ヤスシ