こんにちはsoraです。

久しぶりにブログを書くとダメですねぇ〜

間違って保存せずに消してしまいました😢。

また最初から書きます。

 

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これまで見たいくつかの不思議な夢のことを本にしようと思い、これまで半年くらい時間を費やしてしまって、先日やっと、原稿が完成しました。そして、すっかりブログからも遠ざかっていました。

 

さて話は変わって、以前この場で西洋人と日本人の脳の処理には違いがあることを書きました。

これは、1978年東京医科歯科大学の角田教授によって発表され、さらにその実証実験がその後も繰り返され、菊池吉晃氏という大学教授がその違いについて最終的にこう結論づけています。

 

それは端的にどういうことかというと、

 

西洋人は

左脳=言語、

右脳=自然音、邦楽、西洋音楽、機械音、雑音

 

日本人は

左脳=言語、自然音、邦楽

右脳=西洋音楽、機械音、雑音

で処理している。

 

つまり、西洋人は言葉と自然の音や感情を区別している。一方、日本人は言葉と自然音、感情が一体となっているということです。

この違いは、どこからくるかというと、6歳から9歳までの間で持続母音を使う日本の言語環境の中で育ち、実際その言語を使った人だそうです。

母音はすなわち「あいうえお」。日本語は単語の最後に母音がつきます。

例えば「明日」という言葉は、「あぁ、しぃ、たぁ」と言うように。全ての言葉は母音で終わります。

そして、母音は音響の幅が広く、日本語は同音語が多くて複雑で、それを短時間で聞き分けなければならないということです。

確かに、例えば、「アツいね」という言葉だけでは、外気が「暑い」のか、物質そのものが「熱い」のか、用紙が「厚い」という言葉を指しているのか?わかりませんが、日本人は言葉の音の微妙な高低でそれを判別しているように思います。

 

その日本人の特質が、自然の音を言葉、感情として捉え、そして音楽にしてきたんだと思います。

自然の音って、不規則であり、いろんな音が混ざり合っていますもんね。邦楽も澄み切った音ではなく、どちらというと雑味のある、掠れたような音です。

一方、西洋音楽はクリアな音で階層的になっている、クラッシックがまさにそうです。

 

日本人は言葉と感情が一体となっている。その一方でこのことが感情に流されやすいことにつながるのではないでしょうか。

一方、西洋人は言葉と感情が区別されている。完全に理性的です。

その違いが思想や文化の違いとして現れているんでしょう。

 

これから、日本はますます外国人との共存社会になってくると思います。

この流れは止められないでしょうし、風の流れに逆らえば、辛くなるだけです。

どちらが優劣ということは意味を為さないことです。

また、どちらかの文化や考え方に偏るのもよくないと思います。

僕はこの日本人の特質(良い面も良くない面も)を自覚して生きていきたいと思います。

そのためには人工的な音や物はなるべく取り入れないようにしたいなぁ〜。