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耳が悪いとか機能、器質的な問題ではなく、あくまでも心理的な問題だったんだなって気づきました。

そして音痴の悲しい結果の経験を通しての心の傷を守ろう、守ろうとするがゆえに、ますます自信を無くして、マイクを握るとガクガクブルブルになったんだなと思いました。

だって保育士(昔は保母さんと言った)の仕事の時は、相手は乳児・子供だし、音程云々よりも子供たちと一緒に歌うんだって思いで音痴が気にならなかったし、他の先生に指摘された事もなかった。

だけどその後、自分の子供達のPTAやスポーツ少年団の集まりでどうしても親睦会等に出ざるを得ない時は、マイクを握るとガクガクブルブル、
それでも勇気を出して私が歌い出すとみんなサァーと下を向いて、次何を歌おうかなって歌曲を選びだしてる、盛り上がるどころか白けた空気が漂ってる(泣)

そんなんで教会に行きだした頃、牧師の娘さんが奏楽の当番の時に耳にするピアノの音色が、あまりにも”投げやり”に感じて心が痛く感じた時がありました。

最初に私が通ってた日本同盟基督教団の教会で、40年も地元に密着し勤められた幼稚園の園長も兼ねてた牧師先生一家が辞められて(主人も子供達もこの園出身)、代わりに赴任されてきた牧師先生一家の長女さんなのですが、

古くからのうるさい信徒さん達にいろいろ言われたのでしょう、
(前の牧師先生はこうではなかった、前牧師夫人はこんなに謙虚で親切な人だった…等など私の耳にも届いてた)

また牧師の娘だから奉仕は率先してやらなければならないと言われてるのか、自分でそう思ってやられてるのか。

そんな投げやりな気持ちが私に伝わってきて、これじゃあ神様も悲しむよね、と感じてました。

そんな時にふっと私も奏楽をやろうかなと思いましたが、
資格をとるために18歳から始めたピアノ、結婚してからはほとんどピアノに触れられる暇もなく15年以上経ってる。
まして練習時間なんてあるのか、と葛藤しました。

だけど思いきって始めて良かった、
このピアノの練習時間が私にとって大きな癒やしの時間にもなりました。

毎週土曜日は朝帰りするようになった主人を悶々と待つことなく、賛美曲を弾いて涙して泣き崩れて…、
ピアノの購入も教会に通う事も主人には嫌味を言われてましたが、
(だから家事、仕事一切は手抜きしなかった、子供の事もすべて一人で背負った。元々やってはくれない人だったけれど、これ以上文句を言われずに教会へ行くために)
一通りの家事を終えた夜の10時からは、神様と私の時間でした。

なんだか話が大きくそれてしまいました。

m(_ _)m

また続きますね。