☆ プレーってどんなところ? ☆ |   ~ サワディー♪(สวัสดี)  ~

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   Sinece 2008
タイ・音楽・サーフィンネタが中心の、タイ人嫁さんとのヘンテコ日常日記。
現在は茨城県ローカル(笑)
なんだかんだとブログも16年目突入です♪

          ☆;:*:;☆~ 《Phrae》  ~☆;:*:;☆

殆どの人が素通りしちゃう県だと思いますが、藍染木綿で作られたタイ風シャツの名産地なんですよ。

จังหวัดแพร่ (チャンワット・プレー)

イメージ 1プレー県はタイ北部にある県(チャンワット)の一つで、実は歴史がとても古いんです。
県章はプラタート・チョーヘー(ムアン・プレー仏舎利を祭る仏教寺院)が馬の上に載っているところがデザインされたもの。
                                               ピッサヌローク同様、県内にはヨム川というチャオプラヤー川の主要な支流が流れていて、その川によって作られた台地に位置します。




県は8の郡(アムプー)に分かれ、その下に78の町(タムボン)と645の村(ムーバーン)があります。
イメージ 21:ムアンプレー郡
2:ローンクワーン郡
3:ローン郡
4:スーンメーン郡
5:デンチャイ郡
6:ソーン郡
7:ワンチン郡
8:ノーンムワンカイ郡





プレーは元来モン族の支配下にありましたが、15世紀にランナータイ王国に併合される。
その後ラーンナーの覇権下におかれた、後にビルマに併合されたが、1767年トンブリー王タークシンの元、プレーの国主、パヤー・マンチャイは、チエンマイでビルマに反旗を翻したチャーバーンに合流しビルマと戦いました。

プレーとは北部タイの言葉で「勝利」を意味し、ランナータイ王国のモン族の制圧を祝したことに由来すると言われています。
古くはムアンプレー、パラナコーン等と呼ばれていましたが、西暦927年ジャームティーウィー王女の治世にパープレー(絹の布)という意味の名前“ゴーサイナコーン”または“ウィアンゴーサイ”という名に変わります。

ラタナコーシン朝時代にプレー朝の18代王ピリヤチャイテーパウォンが都からの使節とともに治世を行いました。
1902年、大タイ族が侵攻し、警察署を襲撃、刑務所の罪人を解放し、プラヤーチャイブーンに国を興す様強制しましたが、プラヤーチャイブーンはこれを拒否し処刑されました。
この一件を知ったラマ5世が兵を向けプレーの地を平定します。
ピリヤチャイテーパウォンはラマ5世を恐れプレーの地を離れプラバーンで晩年を過ごしました

その後もプレーは、シャムの中央政府に帰順し、19世紀後半の領土拡大政策である、チエントゥン(景洪)戦役でもプレーは一翼担うことになる。

1891年、統治制度が変わり、プレーは県となったのでした。


布製品はプレー県の伝統的な手工芸品であり、織り・染め・裁断・縫いの全ての行程が非常に高いレベルでなされているモーホーム(農作業着)の服、スポーツ用の服、冬服、鞄や小物類に加工されるティーンチョク布、バティック布、テーブルクロスやベッドシーツに使われるドンムー布が有名です。
(昔のタイを映画にしたもので、農民が着ている紺の長袖のシャツって言えば判ります?あれです)

また、フィッシャーマンパンツとも呼ばれている通称タイパンツ(南部の漁業をしていた人も着ていたからそう呼ばれたんでしょうね。農民と言うよりは聞こえはいいですからね)も、農作業で履いていました。
あれもこちらのプレーの特産品でもあります。

ただし、近年はこの服で農作業をしている人は殆どいません。
皆、現代的な服で作業をしていますので、観光的なお土産若しくは、ファッション性を取り入れた服へと進化しています。

そしてここプレーは木製品、家具や台所用品、木彫りの竜や様々な動物に加工されたものも有名です。


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