村 八 分
関西で活動していたのですが、《日本最古のロックバンド》と呼ばれています。曲の感じはストーンズっぽいルーズなロック。
このバンドが活動していたのは何と1969~1973年(!)
ストーンズが1964年からで、ビートルズは1962年から・・・・
当時の日本の流行歌は「ブルーライト・ヨコハマ」「長崎は今日も雨だった」といった歌謡曲の時代です。
バンドの中心人物の『山口冨士夫』がギターを担当。
彼の格好は背が高く、眉を剃り、ケバイメイクをしていました。
まだグラムロックなど生まれていない時代にです。
(元祖といっても過言ではないと思います)
彼の格好は背が高く、眉を剃り、ケバイメイクをしていました。
まだグラムロックなど生まれていない時代にです。
(元祖といっても過言ではないと思います)
また、彼は母親が日本人で父親が黒人(アメリカ)で孤児だったといいます。
幼児期に『混血児』とかなりの差別を受けたといいます。
(今でこそハーフなんて格好良い呼ばれ方ですが、時代ですね)
幼児期に『混血児』とかなりの差別を受けたといいます。
(今でこそハーフなんて格好良い呼ばれ方ですが、時代ですね)
奇抜な容姿もさる事ながら、全く新しい音楽をやっていたという事もあり『伝説のバンド』と言われていたそうです。
私が知った時ですら、先の形容詞が付いていましたから。
私が知った時ですら、先の形容詞が付いていましたから。
チャーは当時を知っていて、ピストルズが登場した時に「村八分みたいなバンドだな」と言っていたそうです。
ある意味パンクの元祖なのかも知れません。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190610/18/sora-store/bf/86/j/o0500050014457106671.jpg?caw=800)
そういったバンドと聞くと、聴きたくなるのが心情というもので、既にアナログ盤《ライブ》は廃盤で入手不可でしたがタイミング良くCD化されたので上の写真のアルバムを買いました。
~ 収 録 曲(アルバム“ライブ”は2枚組みレコード) ~ ライブ(1973年) A面:あッ!!/夢うつつ/どうしようかな/あくびして B面:鼻からちょうちん/水たまり/のうみそ半分/馬の骨 C面:ねたのよい/ぐにゃぐにゃ/のびてぶぎー/んッ!! D面:どこへ行く/にげろ/どうしようかな/序曲
~ 収 録 曲(初期CD盤) ~ ライブ(1973年) アナログ盤 A面~C面までの全12曲
皮肉にもインディーズだったロカビリーのティアドロップスは活動していました。
一般うけしないジャンルで好き嫌いがハッキリしそうな歌い方でもありますが、今尚コアなファンに支持されています。
現在、山口冨士夫はミュージシャンとして活動をしているものの、骨髄炎と闘病しながらだとしりました。
自身のブログ『山口冨士夫 公式ウェブサイト』で書いてありました。
自身のブログ『山口冨士夫 公式ウェブサイト』で書いてありました。
孤児、混血児として差別を受けていたからなのか、村八分での歌詞は(今となっては)差別用語が多く、放送コードに引っ掛かるものが多くあります。
そのせいでCD化の際に会社側の判断でカットして発売されたものもあります。
また、NHKではバンド名すらも放送禁止用語指定されているそうです。
そのせいでCD化の際に会社側の判断でカットして発売されたものもあります。
また、NHKではバンド名すらも放送禁止用語指定されているそうです。
日本ロックの起源として、興味がある方は聴いて見て下さい。