NHKスペシャル「シェア 16歳の“いのち”はめぐる」 | しあわせのいと

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膠原病、難病である強皮症であり、主症状は慢性偽性腸閉塞。
療養生活でも、闘病しない、難病を持っていても工夫次第で生き方は選べる。
病気の状況を記録 兼
心のことも書いていこうと思います。
よろしくお願いします

昨日
こういう番組がありました。

NHKスペシャル「シェア 16歳の“いのち”はめぐる」


16歳で白血病で亡くなるまで

Tik Tokで元気な姿の動画を上げていた女の子のこと。


そして

その動画に励まされた

その姿に救われた白血病の女の子や

ガンで闘病中の母親がいる女性のこと。


そして

本人が上げていた元気な動画ではなく

闘病の姿の動画を上げた父のこと。

そしてその家族のこと。




このことには

たくさんの見方があって

どれが正しいとは言えない

そういうものが詰まった番組だと思う。


単純にこう

とは結論付けられない。


まぁ

人がいる限りどんなこともそうだけどね。




こういう

少し込み入った話を書いたりすると

私のことを「まじめ」

と言われたこともあったけど


そういうことちゃうねんムカムカ

それで片付けんなムカムカ

って思ったこともあったけど

(鎮まれ私グラサン




ひとつは

この子の父親が

娘の苦しむ姿を動画でシェアしたことについて

色々意見があって


お兄さんは

そんな姿上げてほしくない

そして

この子の友人も

この子の命がかるんじられてる気がする

という思いを持っていた。


父は

娘の本当の姿を知ってほしい。




みんな

間違ってない、正しい。

でも

みんな

間違ってるし正しくないのかもしれない。




どっちかになんて

ジャッジすることができることって

なかなかできること少ないなと思う。

このこと以外でもね。




父親が上げた動画によって

たくさんの人に見てもらえるようになって

人の力になったことは間違いないわけだから。




ただまぁ

本人も病気は打ち明けられてたし

必要とする人には届けられたのではと思うし


父親の動画をきっかけに

多くの人に知られることにはなったけど

ただ消費されたということも事実だろうし。




ただこのことによって

「これってどうなんだろうね?」

という疑問を提示するきっかけになったのも事実。

この番組で

単に闘病しながらTik Tok上げて旅立ちました

みたいな内容ではなく

こういう形で取り上げられたことは

意義のあることだと思うし。




私が思うのは


色々思うことはあるけど


優生さんの生きた人生は優生さんのものであるし

闘病を支えた家族の思いは家族のものであるし


だけど

その2つを一緒にしてはならなくて

家族が優生さんの人生を自分のものにしてはならない

のかなとは思う。


あくまで

優生さんを支えた家族である

それで感じた思いはその人のものだけど

それを超えてはならないのかなとは思う。




病気の扱いっていろいろだなぁとは

15年病人やってると思うことはあって。


この番組のように

家族のこともあるけれど


「本人の自分自身の病気の扱い方」も

様々だよなぁと。




病気になったことで

自分自身と向き合うきっかけになる方も多いし


病気でありながらも

日常は日常で変わらなくて

家族や社会での役割を

なんとかバランスを取りながらこなしてる方も多い。


だけど

あくまで私の気持ち的にはだけど

それは違うんじゃない?

と思うこともあったりするし。


たとえば

その言葉

「自分は病気だから」がなかったら

人に向けられる?

病気だから言ってもOKと思ってない?

病気でも

人間関係は人間関係だよ?

それは変わらないよ?

って思うこととか


24時間テレビに出たいって言うけどさ

あなた

カメラやスタッフが周りにいなかったとしても

登山したいって思う?

あなたがしたいことって

純粋に登山がしたいんじゃないよね?

とか


ほんといろいろな人がいた。


きっと私も

勘違いしてきたことがあっただろうし

今もしているかもしれない。


私は

障害や病気の人と関わる機会が

子供の頃から多かったから

自分が病気になってからは

一応気をつけて過ごしてきたつもりではあるけど

それでも

何かしらやらかしてるかもしれないし

そういうことあったけど忘れてるかもしれないし。




色々思うことはあったって書いたけど

そういう方はめったにいないので

自分のこと?

とかあんまり思わないでくださいね!


それに

病気をどう扱おうが

個人の自由。


たとえば

自分が辛いときに家族に当たってもいいと思うんです。

大事なのは

それでどうするか。


という感じで。




病気になりました。

そのあとは

「病人という人生」が待っているのではなく


それでどう生きるかが

自分自身。


それが

「病気を自分がどう扱うのか」

ということにつながると思う。




上に書いたように

自分自身を見つめる機会にするのか


はたまた

病気である事実を超えて

アイテムのように使うのか

傍若無人に免罪符に使うのか




なんて

一部

自分のもやもやのはけ口に使ってしまいましたがグラサン

それも私の勝手なので気にしないでくださいグラサン




番組はNHKプラスで観れますので

気になった方はどうぞウインク