神戸空襲の慰霊碑除幕について放送されていました。
神戸は1945年1月から8月までのあいだに
128回の空襲を受けたそうですが
特に大規模な空襲であった1945年3月17日と
同年6月5日を指して神戸大空襲と読んでいるそうです。
なぜ、この8月15日にニュースに上がったのか・・・というと
1971年から、神戸空襲に関する慰霊碑を作ろう
という運動が起こり、慰霊碑の除幕式を迎えたのが今日この日・・・
ということだったようです。
発足してから約40年の月日が流れていたんですね・・・。
TVでは、神戸空襲を記録する会代表の方がお話されていました。
何故ブログ記事を書こうと思ったかというと
代表の方のお話と慰霊碑の映像がこころに引っ掛かったからでした。
石碑の高さはおそらく、170cmくらいでしょうか?
正面に『神戸空襲を忘れない いのちと平和の碑』と書かれていて
裏面に犠牲者のお名前が刻まれている形になっていました。
裏面が映されたのですが
お名前が刻まれているのは上から30cm程だけ。
しかも右側は30cm少し空いていて
その下が全部空白になっていたんです。
つまり、慰霊碑の殆どが空白という訳です。
この映像は心に刺さりました。
代表の方は、『子ども達にこの慰霊碑の空白部分を見て
戦争の悲惨さを肌で感じて欲しい』と仰っていました。
全体の犠牲者の数は8000人近かったそうですが
実際にお名前が判明しているのは1752人だけ。
しかもそのお名前も不正確で
『○○大工棟梁』と職業が添えられていたり
『○○よっちゃん』など愛称で刻まれている方もおられるんだとか。
そういえば、沖縄戦の慰霊碑『平和の礎(いしじ)』でも
一家全滅で各家族のお名前が不明なため
名字だけ、という方も居られたような。
神戸大空襲では、市街地に絨毯爆撃をされたとのことで
そんななか親類縁者もろとも犠牲となった・・・ということも
あったのかもしれません・・・。
いや、それだけではありませんね。
その家族のお隣さんも、関係のあった人々も
みんなみんな、大空襲によって居なくなってしまった・・・。
つまり、その人達が確かに生きていたことを証明してくれる人が
誰も居なくなっていた・・・ということですよね。
そういえば、最近封切られた映画『少年H』。
妹尾河童さんの有名な自伝的小説が原作ですね。

水谷豊さんと伊藤蘭さんのご夫婦が共演するとなって
随分TVでも宣伝されておりました。
この映画は神戸が舞台で神戸大空襲も出てくるそうです。
そして別のニュース番組では
『終戦記念日がいつか知っていますか?』
という、街頭インタビューの模様を放送していました。
テレビ番組、というのは、どうにでも編集可能なわけで
何を伝えたいかでどういうものが流れるのか左右されて来ますし
インタビューする人の年齢などの偏りによっても違ってきますよね。
でも取り敢えず統計では
『知らなかった人』が半数を超えていました。
人は、どうしても忘れてしまう生き物だと思います。
忘れないと辛いこともいっぱいあるから。
そして忘れるから、先の希望を見つめられることもある。
忘れちゃうのがいけないんじゃなくて
そういう性質を持っているからこそ
本当に大切なことは、思い出して、語り継いで行ったほうが
いいんじゃないかなって思います。
それに人は、想像力という大きな力がありますし。
想像する力は共感する力と繋がっていて。
実際に体験できなくても、想像することは出来る。
自分が体験した一番それに近いことを持って来て
感じてみることが出来る生き物。
想像力があるから、相手を思いやっていける。
こんなにたくさん人がいるなかでも
調和を目指して進んで行けるんじゃないのかなって思います。
だから、やっぱり8月は、御節介みたいな気持ちがしつつも
こういったことを書きたいと思ってしまうのだと思います。