〜とっても偉い人やなんかわからんけどスゴイ人たちから学んだことシリーズ〜
遊ぶように生きるとは自分を優先にすること
しかし、自分に正直に生きることであり、自分勝手に生きることではない
仕事とは人の役に立つもの
人生後半だから切り開けてくる可能性がある
遊ぶように人生をいきよう!
【50才】は〈じぶん〉という個人として生きよう
社会的な地位が高くなること
多くのお金を稼ぐことでもない
遊ぶように面白がって、気負わず、無理せず、のびのびと自分の可能性を伸ばしていく人であり、夢中になれる毎日を送っている人
やりたことを追求するための流儀3つ
- じぶんの「やりたいこと、やれること」をわかっている
- 力をつけて「求められる人、喜ばれる人」をわかっている
- 「貢献できるひと、分かり合える人」たちとつながっている
つまり、自分のやりたいことをやって社会の役に立つひとは一生仕事がなくなることがない
やりたいことをやらずに後悔すること
だれからも必要とされないこと
趣味や旅行などやりたいことだけやればいいじゃない?
こういう自己完結するものだけでは成長にも満足にも限界がある
自分のためだけならそれほど頑張れなくても、あの人によろこんでほしい、少しでも社会がよくなれば、という熱い気持が自分を支えてくれる
50代以降は組織や縁故にとらわれることなく、自由に仕事や人間関係を洗濯することができる
あなたは50歳を迎えたとき、どのような気持でしたか?
もしくは、どのような気持だと思いますか?
仕事・結婚・子育てなどを経てあらたなステージに飛び込む50才
「人生後半は働きたくない」と思っていますか?
それは他人のためにやりたくないことをやってきたからでしょう
退職と年金でほそぼそと暮らしたい‥
趣味や生活を充実させたい‥
宝くじが当たったら、いますぐ仕事をやめるのに‥
中高年だけでなく、若い人でもそう考える人たちが多かった
もしかするとそれは他人のためにやりたくないことをやってきたからではありませんか?
長年、組織のなかでまじめに働いてきた人、組織の中の重圧で「やらなければ」と人一倍頑張ってきた人ほど仕事から離れたい気持ちが強い
それに対して、仕事を「自分がやりたいからやっている」という人たちは働くこと、成果をだすこと、人に喜んでもらうことが楽しくてたまらないため、体力が続く限り働きたいなどという
なにが違うかというと、
日々の行動を自分が決めているか、他人が決めているか
自分の人生のコントロールができているかできないか
人生のハンドルを会社にゆだねていると、一見安泰で楽なようですが、我慢の多い人生になる
会社で働く以上、つねに会社のルールが優先される
納得がいかなくても従わなくてはいけないし、しんどくても自分のペースでやるわけにはいかない
とくに今の50代以上の人たちは多かれ少なかれ、仕事のために自分の生活、学び、趣味、遊びなどのプライベートを犠牲にしてきたのではないか
- 出勤して定時まで働くこと
- 空気を読みながら振る舞うこと
- プレッシャーと戦いながら与えられた任務を遂行すること‥
他人が決めた行動を何十年も続けていたら、それは歳を取ってまで働きたくないとなるでしょう
人は誰しも楽をしたい、苦労したくないという気持ちを心の奥にいくらか持っている
守るものが増えると冒険をせず、安全な道を行こうする
歳をとると余計にラクな道を選ぶようになる
プライドが高く、世間体を気にする気持ちから失敗を恐れるようになる
しかしラクな道を選ぶと自分を生かせず、不満ばかりの人生になってしまう
人生や働くことのイメージを180度変える必要がある
ラクな方ではなく、楽しい方を選ぶのです
イメージでいうと、ツアー旅行でらくだけど縛りのある道をいくのではなく、少々面倒な一人旅、だれでも一人旅をすることはできるし、人生とはもともとそういうもの
自分の選んだ道を進んだ方が、結果的にラクな道よりもずっとストレスが少なく、成長も評価も、経済的な安心もついてくるはず
なによりも毎日がたのしくなる
自分で決めることが多くなるほど、心と体にいい影響を及ぼす
お金になるならやる
お金にならないならやらない
それは心からやりたいことではないのかもしれません
やりたいことなら、仕事になるかどうかはともかく
一度はやってみたらいいではありませんか
農業をやってみたいというなら週末農業や家庭菜園からやってみる
最初から好きなことと収入を同時に見たそうとするのは無理がある
ライスワーク:ご飯を食べるため、生活のための仕事
ライクワーク:好きなことで心の充足を得るための仕事
ライフワーク:やりがいや使命感をもって追求していく仕事
やりたいことや好きなことというのは曖昧で仕事にしたらイヤになった、向いてなかったも多々ある
やりたいことの一人相撲では踏ん張りもきかず、継続も難しい
反対に成り行きではじめたしごとが生きがいになっていくこともある
50歳かあの仕事は、自分の好きも大事ですが強烈な好きがない場合は人の役に立てることから考えてみてはどうでしょうか
自分の得て増えてや興味のある分野も考慮しつつ、じぶんは何をしたら人の役にたてるのかを追求していけば求めてくれる人がいるため、ライスワークにもなりやすく頼られたり、喜ばれたりしているうちにライクワークにもなって楽しめる
いずれ、やりがいや使命感をもったライフワークなる
50才から花開く人は、人のためを自分のためにして生きていける人
与えてもらう場所より、自分が与える場所を
50歳からは自分に正直に生きる
そろそろ、周りに合わせなくてもいいのでは
とくに仕事に関しては幸福感や満足感の精神面からだけでなく、人生の戦略の面からもそうお薦めしたい
理由のひとつは
やりたいことでないと続かない
50才からは正義感や責任感だけでは走りきれなくなってくる
朝起きてやりたい仕事の取りかかるのと、嫌だけどやらなければいけない仕事に向かうのでは日々のモチベーションが全く違う
自分が選んでやりたいことをやっているという自覚があるから、仕事としてきちんと成立させようとするし、妥協しないでやろうとうする
ストレスなく続ける工夫もするわけです
壁に突き当たったときもやりたいことでなければ、すぐに挫折する
とはいえ、いくつになってもやりたいことがわからず彷徨っている人
「今の仕事に不満はないけれど、ほかにもありそうな気がする」
「なにかくすぶっている」
ということもあるでしょう
やりたいことというのはとても曖昧でまだやっていない段階ではやってみたいことにすぎない
やっていくうちに手応えややりがい を感じて、hんとうにやりたいことになっていく
全部がうまくいくわけではないのですがら、ちょっとやってみたいな、これおもしろそうと気なるものから実験のつもりで気楽にてをつけてみればいい
中高年で最就職や独立をすると失敗は許されない、と肩に力が入れがちですが、むしろ力を入れないで「試してみよう」くらいがいい
試しているうちに、あるときカチンと歯車が噛み合うようにうまく回り始めることがある
それが
「やりたいこと」
「得意なこと」
「求められること」
が重なったポイント
私も多くの仕事を試しましたが、結局長く続いている「書く仕事」は、一周まわって子供のころから好きだったこと、夢中になれたこと、褒められたことだ
「やりたいこと」
「得意なこと」
の本質は変わらない
答えがでなくても
実現しなくても
見えにくくなっている自分の本音を聞き出そうとすることが大事
いつかひょっこり
「そうだ、自分はこんなことをしたいんだ」
「いつの間にかやりたいことが叶っていた」
と思えるときがきますから
また、自分に正直であるためには日々の小さな選択も、自分の感情に正直になって選ぶこと
好奇心、好き、ワクワク感、喜び、楽しさ‥
自分の内側から湧いてくる感情に従えば、アクセル全開で行きたい方向へ連れて行ってくれる
感情は自分が幸せになれるもの、うまくいくものをよくわかっている