『天からの祝福とギフト』


ある日の守護霊との対話



人は生まれてくる時に沢山のギフトを抱え、祝福を受けこの世に誕生します。

ギフトとは具体的に、魂に刻まれた感動や傷や経験、沢山の物を指します。

その人を取り巻く環境や容姿や才能、健康な肉体、運、アシストする守護霊もギフトに含まれます。

自分が決めてきたカリキュラムを遂行する為に必要なギフトを存分に抱え、準備万端で私達は産まれてくるのです。すっかり忘れてしまっているけれど、私達は光の守護に守られながら産まれてくるのです。

例えば、多くの人は、自分と人を比べてこの世は不公平だと言います。

例えばこの世には何不自由なく裕福な家に産まれ、死ぬまでお金の心配をしなくてもいい人や

彫刻のように美しい容姿に恵まれ生まれてきた人、
感受性が強くセンスがすば抜け、芸術家として大成する人

或いは、その人自身は特別突出した物がなさそうなのに、配偶者が資産家だったりの恩恵を受けている人。←なぜか1番妬まれるタイプです。

一方で産まれながらに全くお金に恵まれず貧乏であったり、重い病を患っていたり、虐待を受けたり、劣悪な環境に身を置く人もいて。

そう思うとこの世はなるほど不公平に思えます。

ですが実は蓋を空けると、裕福であっても人間関係で苦労したり、健康でなかったり、誰もが人にはわからない重荷を必ず背負っています。

でもその重荷が実際本当に凄く軽くて、苦労の少ない人もいます。

そんな人は、前世でかなりきつい課題をクリアして、今世は少しゆっくりモードで計画を立ててきたのかもしれないし、人生の後半に困難を詰め込んで予定してるのかもしれないし、真実は誰にもわからないのです。

前世、今世、来世と魂ずっと旅を続け、お勉強熱心な魂や、沢山の課題をクリアした魂は自らハードモードな計画を立てて生まれてきます。

そして、それは決して一方的に強制された物ではなく、必ず自分で納得して選んできたのです。

環境や容姿や才能のように、天から与えられたギフトは、魂を磨き人生を生き抜く為に、高波動の存在と相談ながら最終的には自分で選んだものなのです。

ギフトは、100人いたら100通り違っていて、それぞれ自分に応じた物であるからこそ、比べるという事はそもそも無意味なのです。

人と比べないとは、人の道をジャッジしない、人の道を批判しない、そこに繋がります。
 
魂を輝かせる為に、負荷のかかる経験を選び誰もが迷い苦しみ感動し生きています。

己の道を全うする為に、人は人の道に干渉したり変えようとしたり批判したり妬むのではなく、

起こる全ての出来事にどのような学びがあるか、経験を通し自分がどのように変わり先に進めるか、

そんな思いで生きていれば、ネガティブな出来事や理不尽なでき事にも、感謝の気持ちで向き合えるのではないでしょうか。

降りかかる全ての事は、全て学びの為のギフトであると覚悟を決め、腹を括ったら、実は案外そっちの方がずっと楽ちんで、生きやすかったりするものです。

無いものを嘆くのではなく、当たり前に思って見落としている自分の武器を最大限に生かせば、この世を楽しく生きれるのです。

当たり前だと思っているその一つ一つが奇跡のように美しく幸せの塊である事、私は自分が病になり改めて実感してます。

家族がいて、猫がいて、美しい自然と神仏のいる世界、守護霊さんの愛に、今も頑張って私を生かそうと働き続ける私の身体、私の細胞。

癌という病は、感謝の気持ちと幸せを改めて私に与えてくれたのです。