さて、見逃したシンクロのソロフリー、

録画してあったものを観ました。


デデュー(一部ではドデュ)の演技。。

素晴らしかったですドキドキ


彼女の演技は、

もはやシンクロナイズドスイミングの域を超えて、

プールで踊るバレリーナのような芸術性を感じました。


次に演技したイシェンコの演技が無機質なものに、

見えてしまうくらい、圧倒的だと感じました。



オペラ「アンドレア・シェニエ」のアリアが曲に使われていて、

ふと、マリア・カラスにも思いを馳せてしまったのは、

自分が歌を歌っているからでしょう。


全世界のマリア・カラスファンを敵に回すのを承知で、

あえて書きますが、

マリア・カラスは発声の観点から言えば、

正しくないのです。

あの発声はベルカントではありません。


彼女が映画出演のためにダイエットした話は有名です。

しかも、ドラマチックソプラノからヴィオレッタのような役まで、

マルチにこなした彼女。。。


けれど、本来、ベルカントではそんなことはありえなく、

自分の持って生まれた声質の役柄の歌しか歌えないし、

また歌ってはいけないのです。


ではなぜ彼女の歌は世界中の人を魅了するのでしょう?

それは彼女の持っている高い芸術性ゆえだと思います。


「アンドレア・シェニエ」のマッダレーナのアリアは、

彼女に合っている歌だと思います。

マリア・カラスの本領はドラマティコ・ソプラノのアリアで発揮されると、

私は思っています。


彼女よりベルカントの発声という意味では正しい、

フレーニやテバルディが同じアリアを歌っているCDを聴きましたが、

このアリアに関してはカラスがいい!


声にあっていること、そこにプラス芸術性。

そういうものが人々を魅了するのです。



デデューの演技にも共通するものを感じました。


では、そこに努力の汗がないのか?

けっして、そんなことはない、と思います。


デデュー本人もインタビューで、

カムバックは大変だったと答えていました。



9の努力に1の才能。。そんなことはない、

できる人にはやはり多くの才能があるのだ。

よくそんな意見をききます。


では才能とは何でしょう?

歌でいえば、もって生まれた声?


それだけではないと私は思います。


自分が愛している歌を、

自分の歌を完成させるために努力できること。

これもまた才能なのだと思います。


いいえこれこそが、才能がないとあきらめる人たちに足りない、

才能なのだと・・・…


以前も記事に書きましたが、

私の先生も同じようなことをおっしゃっていました。

(「上達の決め手 」参照)


私も神様と母から授かった自分の声に感謝しつつ、

自分の歌を高める努力を続けたい。

芸術性とは、そういうところから生まれると信じているから。