いま、放送記念日特集の「NHKと東日本大震災」という番組を見ています。
見ています、というよりパソコンを動かしながらなんとなく見ている状態。
テレビ単独で見る、ってことがないのよねぇ?
いつも「ながら」の状態。
早く寝ようってさっき言ってたの誰だぁぁ??
震災当日の津波報道。
東京の様子の報道。
強い口調になった、大津波警報の注意喚起アナウンス。。。
ほんとに1年前、こうだったのよねぇ?
あのころは、ほんっとにいつも考えてましたよ?
被災者や、不安な人たちのために何ができるのかって。
でも私は、できる範囲のことしかできなかったなぁ?
現地にボランティアでは行ってない。(体力ないし提供できる技術もないから迷惑)
唯一、人よりはできると思われる傾聴技術?も、
それをもって現地に乗り込んだって、どうなんだろう?って思った。
悲しみが深すぎて寄り添いきれないよ??
それに、現地に行ってトイレから食糧まで、自己完結できる自信はなかったし。
だから、自分の出番は、当面の傷がおさまってから・・・
かさぶたができつつあるくらいのほうが、やりやすいのね?
大出血してるときは、私じゃ、無理だわ・・・
個人の大出血じゃなくて、団体じゃ・・・
悲しみの津波に飲み込まれるだけ。
だから情報発信にしたのもあるし、それしかできなかったのね。
NHKさんも、当時のできることを精いっぱいしたと思う。
そういうことを積み重ねて、次に生かすしかないじゃないのよ??
でも気になるのはね?
あんなに全国からボランティアが行って。
絆が生まれて。
あんなに復興がんばろうって思ったのに?
震災がれきの受け入れ自治体、少ないよねぇ?
ああ終わったわ番組・・・
みんなに思い出してほしいのね、あの時のこと。
東京だって、帰宅難民で仲良く?歩いたじゃないのよ?
計画停電で大変だったじゃないのよ?
命があってよかった、って思ったじゃないのよ?
だから今年ははね。
自分の生かされた命を、何か別のもののために使っても、
バチは当たらないと思うのね?
利己心でがれきを受け入れないよりは。
リスクが多少あっても、利他心で受け入れたほうが、どこかで巡り巡って、
何かいいことが来る気がする。。。
できることしかできなかった、あの時。
いまもそれは変わらないけれど・・・
一人ひとりできることは違うから、自分のできることで支援は続けたいですねぇ。
できること・・・
自分のできることって、何かなぁ?