先日、佐佐木信綱記念館へ行ってきました。
資料館と、佐佐木信綱さんの生家があります。
佐佐木信綱さん、、、ってどなた?!
と思われる方もおられるかもしれません。
佐佐木信綱さんは、「夏は来ぬ」の作詞者。
作曲は、東京音楽学校で瀧廉太郎を指導し、ドイツ留学を勧めた、小山作之助さん。
来月のコンサートで歌う「夏は来ぬ」について調べていたところ、作詞者の佐佐木信綱さんは、三重県鈴鹿市の出身、そして、鈴鹿市には、佐佐木信綱さんの記念館がある!と知りました。
鈴鹿なら、行ける距離だし、わたしのいちばん好きな夏の曲「夏は来ぬ」の作詞をされた佐佐木信綱さんのことをもっと知りたいという思いから、旦那さんに連れて行ってもらうことに
鈴鹿のインターチェンジを降りると、のどかな風景が広がります。空が広くて、田んぼもたくさんある、、、
こんな優しい風景からあの詩が生まれたのか、と感じました。
そこから、さらに下道で、約20分ほどで、佐々木信綱記念館に到着!
道すがら、何度も看板に出会ったので、迷うことなく行くことができました
資料館は残念ながら、改修工事のため入ることはできませんでしたが、生家をじっくり見学することができました。
とても綺麗に生家が残されていて、中に入って見学ができます。写真や、年表、信綱さんやお父様の短歌も展示されていて、とても興味深かったです。このお家には、6歳ごろまで住み、そのあと松坂市へうつり、そのあと、東京へ行かれたということです。特に、感動したのは、信綱さん6歳のころの、直筆の短歌の短冊です。
細い小筆で、可愛らしい文字ですが、とても達筆で書かれてあり、名前の「信綱」もきちんと漢字で書かれてありました!!
最年少の13歳で帝国大学に入学なさった信綱さんが、幼少期からお父様による英才教育を受け、人生の全てを文学に捧げたということが、よくわかりました。
生家を見終わった後、記念館のスタッフの方とお話ができました。
信綱さんは、万葉集の研究者として素晴らしかったこと、「夏は来ぬ」の作詞で、その名が広まったことなどお話くださいました。また、この記念館前の通りは、うの花通りで、それぞれのおうちの垣根にうの花を植えていて、5月になると、白い可憐な花が咲き誇るそうです。しかし、「夏は来ぬ」は今では忘れ去られようとしているそう、、、やはり、日本の素晴らしい歌は、私たちが歌い継いでいかなくちゃ!!と強く感じました。
わたしも、家でうの花が育てたい、と思い、記念館でうの花を購入しました来年の5月が楽しみです!
こちらは資料館入り口の「夏は来ぬ」の歌碑です。
卯の花の里として、風情のある景観です。
わたしの買ったうの花です。
記念館を後にして、信綱かるた道を少し辿ってみることに、、、
記念館の隣には、小学校の敷地内に、信綱さんが作った石薬師文庫があります。今も、図書室として、地元の子供たちに愛されているそうです。
奥の赤い屋根が石薬師文庫。
手前は信綱さんと、孫の幸綱さんの短歌です。
幸綱さんの短歌に「バイク」とカタカナがあるのが、時代の流れを感じさせます。また代々文学を受け継いでいらっしゃることもすごいですね。
信綱かるた道には、その名の通り、信綱さんの作ったさまざまな短歌がかるたのように飾られています。
こんな感じで、全部で50あるそうです。
残念ながら、全て見てまわることはできませんでしたが、信綱さんの功績を大切にされていることを感じました。
また、通りを歩いていると、あちこちに、文化財になっている古い日本のお家がたくさんありました。古い街並みの景観を保っていて、風情がありました。
こちらは、浄福寺の信綱の父、弘綱さん、信綱さん、孫の幸綱さんの記念碑と歌碑です。
佐佐木信綱さんにまつわるいろいろなことを知ることができ、とても充実した時間となりました
「夏は来ぬ」が、さらに身近に感じ、信綱さんの思いを歌声で伝えようと、気持ち新たになりました
帰りは、松阪牛が美味しくて、お値打ちでいただける「いっしょうびん」という焼肉屋さんへ!
久々の外食と、美味しいお肉にお腹も満たされました
本番まであと30日
お客様に何をお伝えしたいか、、、そんなことを考えながら、準備してまいります
信綱さん、ありがとう