ご無沙汰しております。
牛嶋曰く、ツンツンだが本当は心優しい、臼井悠馬です。
「本当は」はいらないだろ…そも優しくないし…と思っていたら気付きました。
どうやら本当はツンのようです。
更新が遅れてしまい、大変申し訳ございません。
卒論でドタバタしており、総ページ数67枚…パソコンも唸る(ファイルがぶっ飛ぶ)駄作を仕上げていました🔥
今回は入れ替え戦の時のスピーチがあまりにも不評だったので、極力冗長にならない限りで滾る想いを綴ります。
このブログも不評であれば、もうざんねんな類の人間だと思い、一蹴してください笑
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卓球はほぼ中学始めでしたが、顧問の厳しい指導と恵まれた環境のおかげで、団体では県4に数度入賞しました。
しかし団体戦では3,4番手として出場していたものの、全然強くなく、顧問から「君(臼井)は弱いけど、頑張っているから団体に出しているんだ」などと憐れまれるほどでした。
そして高校に進学しましたが、入学後3ヶ月で活動場所が消え、卓球は最低週1回、1時間半…3年生進級前にCOVID-19も発生し、呆気なく高校生活を終えました。
そして大学卓球。
初めて観たリーグ戦での先輩方は格好良くて、加えて環境も高校より整っており…その輪に入るために強くなりたいと思いました。
そのために
「練習相手になる」、
「戦力になるために誰よりもサーブ練習をする」、
「準備や片付け等々で迷惑をかけない」
…少なくとも、中学時代みたいに形だけの努力賞ではなく、力を以てレギュラーに成れるよう努めました。
しかし、上手くいきませんでした。
2年生の時に出場した秋リーグでは、2-3負けでチャンスを逃しました。
その前後からか、フォアサーブの入るビジョンが沸かなくなりました。
フォームも色々試すほど、スタンスやトスすら疑い始め、下しか出せないバックサーブか信用できないフォアサーブしか出せなくなりました。
更にサーブミスが増えたことで、練習相手にも迷惑をかけ、憧れのために努めてきたことが全て裏目に出ました。
その内「同期で自分だけレギュラーじゃない」とか
「役職の責任は増えてもレギュラーからは遠ざかる」とか
…結果が出ないことについて、間接的に八つ当たりしていました。
勝手に被害者顔する一方で、その頃から勝った記憶が無く、プレーに自信が持てなくなりました。
3年生の時にはレギュラーに入る可能性が無いと分かっていながらも、一縷の望みにかけるつもりでした。
が、色々なことを言い訳にして、闇雲にサーブ練習をして、視野を狭めていました。
弱さに向き合えず、試合で勝つための貪欲さが欠けていたと思います。
結果尾形さんや鈴木豪人先輩(以下鈴木)、瀬山と同じ土俵に立つことが最後まで叶わず、自信の無いまま主将となりました。
今思えば、迷いだらけの情けない主将でした。
オーダーを決める際、自分が出ると後輩の成長の芽やチームが勝てる可能性を摘むんでしまわないか、迷ってばかりでした。
リーグも練習試合も、臼井・白井・楠本のうち誰を出すか、考える度にいつも申し訳ない気持ちになりました。
チームメイトと意思疎通しきれず、理解しきれず、憧れの尾形さんや柏﨑さんみたいに引っ張ることもできませんでした。
その積み重ねが、私自身のリーグ全敗、そして最後の秋リーグの最下位に繋がったと思います。
恥ずかしながら、秋リーグ前後も最中も些細で色々なことに動揺し、チーム全体に迷惑をかけてしまいました。
秋リーグが終わった時には、4年間の選手としての努力と、1年間の主将としての責務が全て無駄だったように覚えました。
帰路は、何かを悔やんでいないと正気を保てない状態で、あの絶望感は一生忘れられません。
怖くて誰の顔もまともに見れませんでした。
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でも諦めきれませんでした。
あの時辞めていれば…とは思いません。
理由には1つの自信と、2つの憧れがあります。
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まず自信について、実力ではなくチームの中で人一倍積み重ねてきたことがあります。
それはプレー以外の凡事をチームで徹底させるべく、誰よりも凡事を実践して伝えてきたことです。
主将就任当初は実力が無いことばかり嘆き、チームをまとめられるはずがないと決めつけていました。
でも少し考え方を変えれば、実力は無くとも様々な役職や経験を経ている私だからこそ、「凡事徹底」という過程には一番自信を持てる部分だと認識し、重視しました。
そして実力で物言う部分は僻む前に、副主将の竹野谷や総合主将の牛嶋、更に監督やコーチにお願いするように努め、自分の責務を全うしようと燃えていました。
気持ちが切れかけていた入れ替え戦前の練習でも、「味方のスカウティングのために最後まで尽くせ」と自分に唱えて、レギュラーでなくとも自分が作ってきたチームを信じることができました。
1年生の頃から積んできた準備等の努力が、最後の最後に信用にたるものへと変貌していました。
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加えて人への憧れと、景色への憧れが、気持ちを繋いでくれました。
前者について、振り返れば本当に人に恵まれていました。
「上智大学卓球部」で関わりを持たなければ、先程の過程を経ることはありません。
朱さんや大和さんの試合が格好良くて、最初に見たリーグ戦は今でも忘れません。
柏﨑さんは自慢の先輩で、憧れのリーダー像として尊敬していました。
位田さん、根岸さん、大鶴さん、三橋さん、浅野さんにはよく気にかけてくださり…最後のリーグまで背中を押してくださいました。
天野さんは我々の代まで残って引っ張ってくださり、頼もしかったです。
尾形さんと鈴木は、特に身近で尊敬できる先輩でした。
尾形さんは結果で引っ張りつつチームへの想いも熱く、逆にチーム運営で時折頼りにしてくださったことが非常に嬉しくかったです。
鈴木はこの上もなく怠惰ですが、ちゃんと私を理解しようとしてくださり、自主練習や愚痴にも沢山付き合ってくださいました。
(↑前回ブログで🙇写真があったので、3年前の合宿のひと時も。
🙇中央2名が再登場、尾形さんと浅野さんです)
(↑通称負けサイゼ)
(↑尊敬する先輩2人と同期sの写真がこれしか見当たらず)
直近の先輩だけでなく、OB・OGの皆様からも多大なるご支援を賜りました。
今だから言えますが、「実力も社交力もない私が男子主将の間には、OB・OGの皆様はあまりいらっしゃらないだろう」と、浅はかにも思っておりました。
しかし支援無くして成り立ちえないため、応援したくなるようなチームを目指してきましたが、その言動に関係なく、代替わり後も沢山の方に来ていただきました。
入れ替え戦まで駆けつけてくださり、試合後にひっそり感極まってしまいました。
そして後輩達。皆それぞれいいところがあり、ずっと支えられていました。
特に就活で鬱になった時期と、入れ替え戦直前には、冬の男子メンバー(竹野谷、白井、楠本、チルソン)にずっと助けられていました。
(↑この写真が4年間で一番好きだっ)
何も返せず申し訳ないですが、彼らをはじめ、頼もしくなった後輩達の今後には期待が膨らむばかりです。
(↑竹野谷不在のリーグ打ち上げ)
全然書き足りませんが、このくらいに抑えておきます。
全員私の憧れで、感謝してもしきれません。
皆様からのご温情やご支援を無下にしたくありませんでした。
加えて、尊敬とは違いますが、同期の2人。
瀬山は無自覚に困らせてくるため腹立たしいですが、どれほどネガティブになっても助けてくれました。
秋リーグ直後も彼がいなかったら、入れ替え戦の会場に私はいなかったと思います。
大学で一番思い出が多い存在です。
牛嶋は、1年生の時はポンコツすぎて不安でしたが、同時にずっと主力として頑張っていました。
総合主将としても淡々と責任を全うしてくれて、本当に助かりました。
任せて良かったし、リーグでの姿はいつも刺激になりました。
時に2人のことを疎んだり妬んだりしましたが、素敵な同期にも恵まれて、勿論辞める訳にいきません。
(↑他にも写真はあったけど、敢えて後輩だった頃のやつ)
上智大学卓球部の「人」に惹かれて、その憧れが引退までずっと支えてくれました。
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そして後者の憧れは、自分自身が想像していた景色です。
何のためにやっているか度々見失いましたが、結局「このためだった」と回帰して頑張れました。
(↑秋リーグ、本当に辛かったけど、この瞬間だけは本当に幸せでした)
レギュラーからすれば当然の光景かもしれません。
でも初めてリーグ戦を応援した際、「自分もその景色を創りたい」と強い羨望を抱きました。
結局努力賞欲しさではなく、この景色に憧れたから頑張れる。
これが一番の根底にある憧れで、原動力でした。
しょうもないものばかりで恐縮ですが、この3つのポイントがあったからこそ、最後まで駆け抜けることができました。
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最後に、
結果だけ振り返れば、入れ替え戦は無事に勝ち、4部残留となりました。
安堵して引退を迎えることができました。
気持ちの面では後悔ばかりですが、努力が無駄だったかというと「否!」と胸を張って言えます。
以前中学時代の顧問が「君(臼井)は大学まで卓球を続けるといい」と仰っていましたが、今なら少し分かる気がします。
努力は報われることもあれば、報われないこともある。
しかし仲間を信じて必死に頑張れる時間は、何より貴重でした。
大学生活は多様ですが、本気で何かに取り組める環境があることも、幸せだと思います。
私にとって、それが上智大学卓球部でした。
この4年間を通して、すんごいネガティブな私でも、「結果」ではなく「過程」を誇れるようになりました。
努力賞ではなく、人と景色に憧れ続けて、紡いできた過程は、一生の宝物です。
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美化された根暗な自分語りと、自己満で程度の低い解決策は、読んでいて腑に落ちないかと思います。
私自身も、この場をお借りして気持ちを整理させていただきましたが、思い出す記憶や込み上げる感情を論理的に言語化できずもどかしい限りです。
だらだらと綴り申し訳ございませんが、是非
で癒されてください…(中国に帰っちゃいますね😢)
それでも、このブログを最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
そして、これまで関わってくださった全ての方に、心から感謝申し上げます。
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無事ラストブログも書き終えたので、次は私と共に引退することを拒んだ、裏切り者の瀬山大稀です!
皆あなたのことを忘れているので、面白い近況報告とか諸々年内にお願いしますよ〜








秋リーグを終えて
みんなへ
まとめ
おわりに
