行ったこともない街で、

ある日突然生活をすることになったら…。

 

 

こんな説明でその時の気持ちが伝わるかわかりませんが、

私は、突然誰か知らない人の人生を

生きているような気持ちになりました。

見知らぬ街、見知らぬ風景、見知らぬ部屋。

私が、私ではないような…。

そんな不思議な感覚の中で生活をしていました。

しかも、成績は良かったはずの息子が二浪もしている。

ふとした瞬間、私は何が何だかわからなくなりました。

 

どうしてこんなことになってしまったのだろう…

私はこの知らない街で暮らした一年間、

とにかくよく泣きました。

仕事帰り、駅から家に向かう道は人通りも少なくて、

よく空を見上げて歩いていました。

あの有名な歌の歌詞にもありますが、

本当に涙がこぼれないようにいつもそうやって歩いていました。

そんな時にふと浮かんだのが、

二年前の私が、いまの私の状況を知ったら、

もっと必死で子どもの受験に関わり、違うことをしたのではないか

という思いでした。

 

そして、その思いが、

いつかこの体験をブログに書いて誰かに伝えたいという

気持ちにつながりました。

息子が大学に進学するまでのあと一年の記録、

もう少しおつきあいいただけると幸いです。

 

 

新しい生活は何もない状態から始まりました。

引越と言っても、引越業者を利用するようなお金も無く、

布団一式と洋服と息子の場合は勉強道具を、

段ボールに詰めて宅配便で送りました。

生活するのに最低限必要な家電と家具は、

新しく購入して配送してもらいましたが、

時期的に品薄状態で、納品は早くて2週間後というものが多く、

それまで不自由な生活をしていました。

正確に言うと、息子が先に引越し、数週間後私も引っ越しました。

私は仕事を辞めるのに少し時間が必要だったのです。

だから息子は冷蔵庫も洗濯機もない状態で、

二週間ほど暮らしていました。

それでもここの環境が気に入っていて、

塾にも行くのが楽しいと言っていました。

 

私は4月ぎりぎりまで仕事をし、

5月初めのある日、羽田行の飛行機に乗りました。

新しい生活と言っても、

楽しいことは何一つ無く不安しかありません。

もう一年浪人してもどこの大学に入れるのかもわかりません。

それでも、私は好きだった仕事を辞め、

住み慣れた街を離れ、

東京に向かいました。

飛行機が離陸した直後、しばらく見ることがない街の風景を

空からしっかり見ておこうと窓の外に目を向けると、

空は雲一つ無い青空で空気も澄んでいたのか、

普段は見えないような遠くの山々や海岸線もはっきり見えて、

信じられないような美しい景色が広がっていました。

その景色を見て涙が止まらなくなりました。

隣りに人が座っていなかったのが不幸中の幸いでした。

こんな日にこんな美しい景色に出会うとは

本当に不思議だと思いました。ポジティブに解釈すれば、

大好きな山々に『頑張れ!』ってエールを送られたのかも、

と、そんなふうに思いました。

 

息子と住むことになったマンションは、

築20年ほどでしたがリフォームもしてあり、

中はとても綺麗でした。

6畳の和室と洋室が横に並んでいて

それぞれベランダに面していました。

そこから見える風景は、『森』でした。

そして聞こえる音は、さまざまな鳥のさえずりや虫の声。

ざわざわという木々が風に揺れて葉が摺れる音。

そんな音ばかりでした。

私がこのブログの壁紙に『森の写真』を選んだもう一つの理由は、

ここにありました。

森の中に住んでいると錯覚してしまうような部屋だったのです。

だからこの住まいをこれからブログの中では、

『森の家』と呼びたいと思います。

 

私が森の家に住むようになった時、

まだダイニングテーブルもありませんでした。

二週間以上も外食ばかりだった息子のために、

すぐに食事を作りましたが、

その食事を食べる場所がありません(笑)

しかたなく、フローリングの床の上に包装紙を広げて、

その上に料理を並べて食べていました。

なんと貧乏くさい食事風景なのでしょう。

私の人生の中でも、

こんなに貧しく厳しい生活は無かったと思います。

今までがそれだけ恵まれていたからなのだと思いますが…。

 

調理道具も何も持ってくることができなかったので、

ほとんどのものを100円ショップで揃えました。

鍋などはさすがにホームセンターで買いましたが。

PCがないと生きていけないので、

PCだけは持っていきました。プリンターと一緒に。

これは受験にも使ったので、必需品でした。

テレビはありませんでした。

もちろん新聞なんてとる余裕はありませんから、

世の中の情報に疎くなりました。

それで、住んでいた所が森の家ですから(笑)

世の中から取り残されているような変な感覚がありました。

しかし、この環境が息子には良かったのです。

 

なによりも、知り合いが誰もいない街で住むというのは、

都合の良いことばかりでした。

私のことも、息子のことも誰も知らないのです。

もうとても高校生には見えない息子が、

昼間から街をふらふらと歩いていても、

誰も関心を持ちません。

 

一浪目は、

誰かに聞かれても明るく浪人中であることを話した私でも、

二浪が決まった後は憂鬱でした。

知り合いに会うことがとても嫌でした。

どうやって説明しよう。

睡眠障害のことも言い訳にしか聞こえないんだろうなと、

悲しくなりました。

でも、ここでは誰も息子が二浪してることは知らないし、

そんなことを聞いてくる人もいない。

 

私も息子もとても自由でした。

貧乏だけれども、心身共に自由であることは、

とても快適でした。