ついにやってきた引退ブログ。

 何を書こうと思い先輩のブログを読み返していました。どれも泣けるような素晴らしいブログでしたが、私はそのような素晴らしいブログは書けそうにないので、応援団での4年間の生活を振り返り、その思いを率直に書いていこうと思います。

 まず、私が応援団の入団を決めた理由は、単にチアを続けたかったからということでした。そんな浅はかな気持ちで入ってしまいましたが、4年たった今、本当にすごい団体に入っていたんだなと改めて思います。応援団だからこそ経験できる貴重なチア生活を送ることができました。
 応援団に入りたての1年生のとき、コロナが流行し、オンラインでの練習となっていました。先輩に応援をZoomで教えていただき、実践する場がないまま練習が続きました。正直、この頃は応援の楽しさを味わっておらず、義務的に練習していたと思います。先輩方がどのような姿勢で団活動に臨んでいるのか、応援団がどのような組織なのかをよくわからないまま過ぎてしまっていました。1年生の途中から対面での練習になり、応援団員としての自覚が出てきた頃、とにかく先輩方に威厳を感じていました。そのくらい、規律のある応援団の伝統を背負う先輩方は威容を 誇る姿でした。
そんな印象から始まった応援団生活。

 思い返すと、初めて応援団の舞台に立ったフレッシュマンウィークの1年生演技、 団バッジを頂いた日、みんなで叱られた日、構成での出番が増え始め新しい技をやらせてもらった日、毎日早く帰りたいと言い続けながら星を見た合宿、みんなで号泣した大会、凍えながら応援した日など、この4年間でいろいろなことがありました。
日々を必死に生きていた4年間は、長いようで一瞬で過ぎていきました。 



 特に私は学科の実習のため、ほとんど準幹部としての活動をできなかったからそう感じるのかもしれません。3 年生は、応援団の中心となって運営し活動を進めていく主体の学年です。しかし、1番責任もあり個々の仕事量も増えるこの学年は、その学年の団結力が試され関係性が一気に変わる学年であったと思います。大変なその1年間にあまり関われなかったことを申し訳なく思いますが、入団後、初めて応援団の活動を客観的に見る機会となりました。この時期に私は応援団がもたらす影響の大きさとそれを動かしている同期や団員の素晴らしさを再認識しました。ひとごとのように言ってしまいましたが、これだけ多くの人が応援団の活動に関わっていて、応援してくれている、そんな団体を作っている団員は本当に個々で素晴らしい力を持っているんだなと思いました。
 それから、ようやく応援団という組織のことを理解することができたと思います。 今更かと思われると思いますが、1.2年生、準幹部、そして幹部という応援団を構成するそれぞれの役割を経験したからこそ分かることだと思いました。



 そして、この4年間の生活を無事に過ごすことができたのは、やはり同期の存在があったからだと思います。特に、同じ看護学科の友人がいてくれたことは、私にとってとても大きなことでした。ただでさえ毎日練習で顔を合わせるのに、その友人とは登下校も一緒、授業も一緒、ご飯も一緒。寝る時間以外ほとんど一緒に過ごしました。2年生から別のキャンパスに通い、部活のために四ツ谷へ移動し練習をするという日々。特にしんどかった3年生の春学期。もし、1人だったら応援団を辞めてしまっていたかもしれません。



 次の日に生きるか死ぬかのテストを控えている時でも、もちろん容赦なく 21:00 まで練習がありました。1から4限まで授業を受け、練習まで近くのファミレスで勉強し、四ツ谷に行って練習をし、大学が閉まるまで8ピロで練習着のまま勉強をしたこともありました。
 大変な生活でしたが、部活があるからこそ両方を頑張れたと思います。どれだけ疲れて、今日行きたくないね、と話していても同期の顔を見ると元気が出るし、なにより楽しいと思えました。しかし、練習の時も次の日のテストのことは頭から離れておらず、「緊急手術の適応になるのはスタンフォード分類Aの上行大動脈の大動脈解離やんな」など全く部活に関係のないことを柔軟しながら話していました......。
それくらい、必死に過ごしていました。



 そして、実習中に見た大好きな同期が作ったソフィア祭の秋構成。涙が出るくらい感動しました。そこに入れなかったことをとても残念に思いますが、演技をみて、 元気をもらえた、チアって素晴らしい力があって本当に人に届くんだなと、心の底からそう思えたのは初めてでした。



 毎日必死だったそんな生活で、同じ立場で頑張っている友人がいる、そして私たちがいない間も必死に応援団を引っ張り、素晴らしい功績を残している同期がいる、 みんなのおかげで頑張れました。
本当に感謝しています。ありがとう。 



 応援団での生活の4年がたち、顧問の先生、OBOGの方々との交流や、上南戦、 団フェスタ、荒鷲の集いなど、さまざまな応援団の活動を通して応援団は伝統・歴史のある団体であり、上智大学応援団に留まらず日本の応援団文化として受け継がれてきた、とても尊いものであることを徐々に理解しました。そんな応援団での活動を体験できたことをとても誇りに思います。
 今でこそこのように思えますが、1.2 年生の頃はふと、我に返ると自分は一体何をしているんだろうと思うことも正直に言うとありました。応援練習では厳しい指導があるし、団の規則もなぜこんなに厳格なのか、これを続ける意味はあるのかと疑問に思っていました。しかし、これは応援団の威厳、規律を守るために必要なことなのだと思います。それがあるから、他とは違う独自の文化を持った、他とは違う経験ができる場所になれるんだなと思います。
長々と書いてしまいましたが、4年間の応援団生活のおかげでとても有意義な生活を送ることができました。
 このような経験をすることができた素晴らしい応援団を作り、継承してきてくださった顧問の川中先生をはじめ、OBOGの皆様、現役団員の皆さん、同期、全ての関係者の方々に感謝申し上げます。

先輩へ
今やっとここまで来られたのも、これまで先輩方に丁寧にご指導していただいたおかげです。1年生の頃に見ていた先輩方の立派な姿は、「なんでこんなに上手なんだろう」、「何が違うんだろう」と考える機会を与えてくれました。
本当にありがとうございました。

後輩へ
頼りない先輩すぎてみんなに助けてもらってばっかりでしたが、みんなと一緒にスタンツを組んだり、全然関係のない話をして笑ったり、そんな普通の日々がとても楽しかったです。頼もしいみんななら、もっと素敵な応援団を作っていけると思います。応援しているよ。頑張ってね!
最後の練習の日は泣いて見送ってね。

同期へ
なにひとつまともに1人でできたことはない私をいつも支え、面倒をみてくれてありがとうございました。してもらうばっかりで、何かみんなの力になれたかと言われると何も思い浮かびませんが、間違いなくこの4年間、みんながいてくれたおかげでとても楽しい4年間になったよ。
ありがとう。いつかまた集まろうね。か◯ぐちゆ◯さん、召集かけてね

 そして、ソフィア祭、大会、さらにはハワイまでも大阪から駆けつけ、離れてはいたけど、4年間のこの生活を応援し支え続けてくれた家族。本当に感謝しているよ。これからも、恩返しができるよう精一杯頑張っていきます。
老後の介護は任せてね。本当にありがとう。

 この4年間のたくさんの想いを込めて、最後まで全力で楽しもうと思います。
みんなの想いが詰まった第64代応援団の集大成「荒鷲の集い」、ぜひお越しください。
拙筆ではございましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。 これからも上智大学応援団を、どうぞよろしくお願いいたします。

チアリーディング部 4年 ちー