「えっ、そんな…」

 

一歩目の踏み出しを間違え、次の一手も運に見放されたユビ。

ホン・ジホン教授、チョン・ユンド先生への次ぎなる繋がりを模索している間にターゲットの一人が結婚してしまったと父は憤慨した。けれどそれ位で夢を諦める父ではない。

 

「おまえがまごついた所為でひとつ工程が増えてしまったが仕方ない。結婚したなら離婚させれば良い。あまり時間を掛けるな。」

 

そうユビに言い放った。

 

不謹慎なことを平気で口にした父の願望は簡単に実現しない…というより不可能でしょ。なにしろ、難攻不落な彼が選んだのは13年越しの想い人なのだから。

 

野望に燃える父には私に見える事実が見えず、敗北を認めないユビは自身の小さな失敗を父に咎められ気分を害し、妹の失点にほくそ笑んだユナは意気揚々と部屋から出て行った。三者三様の反応を目撃した私は、黙って実家を後にした。

 

 

 

「チョン・ユンド先生は会われません。」

 

これまでここクギル病院に営業に来ることを避けていたのは父の方針だった。ユビの失敗に焦った父は、私がここに来ることをようやく許した。事前調査で利に聡く小心者と言われているカン・チーフに繋ぎを求めたのだが…。

 

「どうしてですか? 先生にとっても良いお話のはずです。」

 

「先生は原則に忠実な方なので。」

 

「だから何故っ?」

 

「忙しいので失礼します。」

 

“何なのよ、もう!”

 

製薬会社の営業が最初に接触を試みるのは現場の医師。彼らを通じて権限のある医師に繋いでもらい…そこからはまぁ、多様だ。

それにしても、ここのチーフは御しやすいと聞いていたのにどうして?思いもよらない躓きに気を取られていた私は、背後に近づく気配に気がつかなかった。

 

「初めての方ですか?」


「はい?」

 

声を掛けてきたのはメガネを掛けた優男風のこの医師は…レジデントクラスと見た。わざわざ声を掛けてくるんだから、野心家なのかも。

 

「ええ、こちらの病院は初めてで…。」


「でも新人って訳じゃない。」


メガネの奥の瞳が変わった?

 

「ターゲットを間違えている、そういうことです。」

 

“ターゲット?”


「それはどういう…」


「ピ・ヨングク先生!」

質問を遮るように声が掛かってしまった。

 

「ではこれで…」

卒なく会釈し“ピ・ヨングク”と呼ばれた彼は行ってしまった。

 

仕方ない、出直すしかないか…。諦めかけた時、“ホン・ジホン先生!”と呼ぶ声が聞こえた。見渡すと、爽やかな笑顔で周囲に会釈を返しながらこちらにやってくるその人がいた。

 

「ユ・ヘジョン先生は?」


「もうすぐこちらへ。もしかして寂しいんですか?」


「うん」


「うん、って。もう!!! ご馳走さまです。」


「どういたしまして」

 

なにこのやりとり・・・。教授とナースの会話?

ってか、なんなのあの満面の笑みは?まさか、新婚ボケ?

 

あまりに意外なものを見せられ私の頭は完全にフリーズしてしまった。それにしても…彼の姿を見つけ質問にやってくるドクター達に指示を出すホン教授は惚れ惚れする美丈夫だ。単なるハンサムというのでなく、知的で風格も備わっている極上の男のオーラが見える。"あ~、俯き加減で佇む姿も格好いい"

思わず見惚れている私と、ふと顔を上げた彼と視線が合ったような気がした。

"えっ?笑顔? 私に…?"

 

そんなことはある筈もなかった。さっきの魅惑的な笑顔を上回る犯罪的な笑顔を向けられたのは、エレベーターホールからヒールの音高く走ってきたスレンダーな女医。高めに結わえたポニテールが華奢な首元を際立たせている彼女は待たせたことを詫びてでもいるのだろう。それに応える彼の瞳には蜜が零れんばかりの愛情が溢れている。

“じゃあ”

そんな声が聞こえるように気がした。片手を挙げた彼は迷うことなく彼女の背に手を添え歩き出す。あくまでもビジネスライクな彼女のしぐさと、わざとからかうような楽しげな彼から目が離せない。

 

「いくら待っても先生は会われませんよ。どうぞお引取りを。」

 

”解ったわよ、うるさいわね”

いつの間にか戻っていた使えないカン・チーフに再び追い払われ、仕方なく私はそこを後にした。