カリスマ依存にご用心 | あくせくしたってはじまりませんぜ

あくせくしたってはじまりませんぜ

とか言いながら、けっこうあくせくしちゃってるんですが。
まあ、できればまったりと生きたいなあ。

 

この手のカリスマに依存する人は多い。いつの時代にも。

そして、おもしろいことに「弱肉強食」「勝ち組負け組」「賢い馬鹿」「新しい古い」が語られる時に、なぜか自分を「強者」「勝ち組」「賢い」「新しい」側に勝手に分類しているのだった。

常識的に考えて、そんな「有能な人」はごく限られた少数者なのであって、大半の人間はそうでないはずなのだが、何故か自分がその少数の「選ばれし者」と考える多数の人々が存在する。そんなに「有能な人」だらけだったら、世の中はとっくに良くなってない?

だから、これは一種の宗教的、信仰的なメンタリティなんだろうねぇ。ユダヤの選民思想みたいなもんだ。「信じる者は救われる」のだ。

そう言えば、巷に跋扈する陰謀論でも、必ず「目覚める」「目覚めなさい」という言葉が使われる。「真実に目覚めた」人は、「選ばれし者」だし、「有能な人」なのだ。そういう図式、構造だね。(エホバのパンフにも「目覚めよ」と書いてある)

月並みな結論を書くと、気の毒だけど誰かに依存している=「答え」を教えてもらおうとしている時点で「有能」じゃないよ。「自分で考える」能力があること、これが最低限のスタートラインじゃないの?