皆さまlこんばんはニコニコ

いつもお付き合いいただきましてありがとうございますおねがい

前回、義母を思い出した理由の一つに当てはまります、ソウル日帰り観光をしてきました!

なぜそこで義母かと言いますと、うちからソウルまでKTXという高速鉄道?に乗って行くのですが、どうしても通り道に「東大邱駅」があるわけですよ。

駅隣接の新世界百貨店では義理の姉さんとの記憶やら姪っ子のプレゼント選びに来たことや(私よりも)義両親に会いたくない旦那氏のために週末の度に来ていたことなどを思い出すと同時に、義実家まで駅からそんなに遠くないというかむしろ近かったので気が気じゃなくなるんです。
従兄弟さんのお宅も近かったりでね。

久しぶりだし、ただ通りすぎるだけだから大丈夫だと自分では思っていたのですがまだしんどかったです。


下記の写真はソウル駅です。
ここの階段で結構皆さん座って待機してたりしますよね。
初めて見たときは集合写真でも撮るのかな?と思ってしまいましたw



そして今回の目的は徳寿宮の夜間ガイド付きの観覧でした。

もともと古宮に興味を持ったことに始まる私の韓国への関心なのですが、今まで一度も訪れたことがありませんでした。

歴史を知るほどに複雑です。

徳寿宮の外壁というべきなのでしょうか?
集合時間まで散歩しながら撮ってみました。
しかし雨上がりだったので蒸し暑さやばかったです。



大漢門周辺は改修工事中なのかな?




中和殿。政を行っていた場所だそうです。



中の様子。
こちらの天井に描かれている龍は爪が7つあるそうです。
本来、龍を描くときは爪が5つらしいです。
これにも意味がちゃんとあるという。





こちら、本来この建物ではなかったのですが、火事で焼失したため新たに建てられた建造物です。

これ以外にも徳寿宮では結構焼失してしまったり、門も壊されたりして本来の姿や位置ではなかったり徳寿宮の規模もかなり縮小されていて本来は中にあるものが大漢門を出て前を見るとホテルの前にポツンと取り残されていたりして心が痛みます。




上記の建物は確か中和殿の裏側にあり、皇帝(王様)が仕事するお部屋として使われていた建物です。だったと思います。

ちなみに皇帝はこのお部屋から出てきて中和殿へは後ろの扉から入っていたそうです。
入るときも外側の石の階段はカマと呼ばれる駕籠に乗って運ばれていたそうです。



夜になるとこんな感じです。

皇帝がこのお部屋を使わなくなったときにはこちらを娘のために幼稚園として使用したそうです。





下記は住居として使われていた建物だそうです。






こちらの後ろ側?にお葬式のときに使用された建物があったのですが、さすがに写真を撮るのは控えました。
そして、その建物も本来の姿ではなく西洋風に変えられていたり韓国の方々の間でも誤解されていることが多いらしく、コーヒーを飲むため楽しんだ場所というようなことになっているようでガイドさんもちょっと悲しそうでした。




これはどこだったのか覚えておりません。すみません。

高宗のときに起こった数々の出来事の中心に徳寿宮があったと思うと建物は美しくても悲しさや痛みが滲み出てくるように思います。

今回は異なる視点であったり、出来事の背景を知ることができて良い経験になりました。

これをきっかけにこれから他の古宮もガイドさん付きで勉強しに行きたいなと思いました。

なぜって色んな情報や写真を見せてくれて事実を教えてくれるので。

私一人じゃずーっと韓国語と向き合うのも頭が痛くなるし、旦那氏に聞いたところで主観の答えしか返ってこないので客観的に見て聞いて学べるというのは非常に充実した時間だなと実感しましたニコニコ

しかしながら、こういったガイドさん付きツアーに行くのはやはり覚悟がいりますw
個人的にビビりなので。

むかーし、昌徳宮のツアーに参加したときは「なんでここに日本人が来るの?理解できない」って遠目に言われたこともありまして。

ですよね。

改めて一つずつ学んでいこうと思います。

これも旦那氏とではなく、一緒に行ける友達がいたらありがたいんですが悲しい

こういった類のものは難しいですよね。。。

このツアーのあとは旦那氏のお友達と久しぶりにお会いし、一緒に夕食(時間的には夜食)をして最終の電車で帰宅しました。

もう少しソウルから近いところに住めたらいいのになとNAVER不動産を見まくっているしもべですw