これは済州島旅行から帰ってきて、数週間後の私の誕生日の出来事です。
それまでの義家族の誕生日の話を全部はしょりましたが、本当に良い思い出など何もありません。
ケーキ担当(基本的私たち夫婦以外の誕生日は毎回担当)になったら色んなケーキ屋さん調べて義家族の趣向に合わせて買わなきゃいけないんですけど、何を買って行ったって文句しか言われないっていう安定のクズ義家族。
しかもほぼケーキ嫌いな人たち。食べもしない。
それでも義兄嫁は会って話した日以降、あまり文句は言わなくなりました。
むしろ話してみると食べ物や映画など好きなものに共通している部分もあり、意外と敵ではなかったなとお互いに思っていたように思います。
あ、話を戻しますと。
義父は日頃から「なんでお前らの誕生日を祝ってやらなきゃいけないんだ!お前らが金を出せ!」と言っていたのです。
むしろ、祝ってほしくもない私たち夫婦としては"じゃあパーティーやらなきゃいいじゃん"って思っておりました。
言ったところで「お前らは感謝というものを知らんのか!家族を何だと思ってるんだー!!」って怒るだろうから黙ってましたけど。
日本にいた頃は自分の誕生日も母にありがとうって感謝していましたけど、韓国で執拗にいじめられても義両親に感謝を言えるほど私の心は広くなかったです。
そして誕生日当日夕方。
義両親と車で一緒に飲食店に向かう道中。
義母「あ、そういえばお前の誕生日だけどケーキ準備してないからーㅋㅋㅋ」
私「どうせ皆さんケーキ食べないから必要ないし、なくてもいいんじゃないですか?」
義母「は?それでも形式上必要だろうが!何言ってるんだ!」
私たち夫婦と義父は沈黙。
お店に到着して義兄家族とも合流して席につこうとした瞬間、義母が私たち夫婦に向かって
「やー、ちょっとお前らケーキ買ってこい!」
私たち夫婦「........」
すぐ隣で見ていた義兄嫁は表情がってなってました。
そして自分の誕生日に一緒にいたくもない人たちのためにケーキを買いに走る私たち夫婦。
恐らく引っ越しの件でまだ根に持たれているんだなと思い、ここで爆発したら終わりだと自分に言い聞かせて我慢しました。
ケーキを買い、戻って食事して、私たち夫婦の引っ越しの話を私たち夫婦抜きで義家族であーだこーだ言い始め、もうそろそろ限界と思ったところで一旦食事終わったようでお店を出ました。
駐車したところまで歩いて行く途中、義母と義兄嫁と私たち夫婦で並んで歩いていました。
義母「お前、いつになったら産前検査受けに行くんだ!?あぁ!?」
私「すみませんが、まだ体調が良くないのである程度落ち着いてから行こうと思います」
義母「はぁ?!そんなこと言って、いつになったら行くのか本当にわかったもんじゃない!義兄嫁ちゃん!孫ちゃん出産したときの産婦人科の連絡先はまだあるか?月曜日の朝で今すぐ予約取れ!」
義兄嫁「え?でもあそこ予約じゃなくて.......」
義兄嫁がフォローしてくれてるんだろうなと思いましたが、この瞬間全てがどうでも良くなり、止まりました。
気がついたら涙が流れ出てて義家族とは反対方向へ歩き出しました。
もういい。ここまで私を無視する人間と一緒にいなきゃいけない意味がわからない。
元気ならまだしも体調が良くないって言ってるのに無視される筋合いはない。
そう思って一人歩いて帰ることにしました。
途中、旦那がなんかおかしいと気づいたようで追いかけて来ましたが泣き叫びました。
もういい加減無理だと。
旦那が親に何も言えないのもずっと我慢してきたけど限界だ。このまま何も言えないなら申し訳ないけど離婚しか選択肢にない。
離婚したくないなら今すぐ義両親にもの申してくれ。
出来ないなら日本行きの航空券を今すぐ予約して!
多分そんなことを叫んでいたと思います。
注目の的だったと思います笑
旦那は直接はまだ怖くて言えないからメッセージで送っても良いかと聞いてきました。
この期に及んでまでも嫁より義両親の存在が大きいのかと。
好きにしてくれ。もう私は疲れた。疲れすぎてあんたに構ってられない。
そう言ったらメッセージで送ってました。
でも。普通の人と違うのが。
メッセージなんて送れば良いの?って私に聞いてくるんですよ。
これに限ったことじゃないんですけど、誰かに何かを伝えるとき、どう言ったら良いのかわからないとか、電話すらまともに出れなくて相手の気分を損ねたりとか。
本当にどう育てられたらそうなるのか親の顔を見てみたいと初めて思った人でした。
ほぼ毎日見てましたけどね。見ていてそりゃ納得ですよね。
そして変わる変わる詐欺の旦那には期限をつけました。
その年の12月までに変われなければその時点で離婚する。
この言葉が始まりとなりました。
心の痛みを伴う始まり。