ホーチミンから、飛行機でダナンに移動し、タクシーで思い出いっぱいの街ホイアンに移動しました。
10年ほど前に来た時は、道もまだガタガタで、古いヒュンダイのワゴン車もショックが抜けきってるようで、いちいち道の突起を正確に捉える様に振動し、非常に頭が痛くなったものでした。
今では道路もきれいに整備され、ダナンの街にはコンドミニアムや建設中のリゾートマンションが多数見受けられました。
2000年11月私はある決断をすることに迫られていました。
彼女(フォン)が22歳の時に知り合ってから、私はたびたびこの地を訪問し、その時、4年間経過しているので、すでに26歳になっていました。
ベトナムのしかも小さな地方の町で26歳というのは決して若くはないし、そろそろ交際期間も長くなっているので、結婚はどうするのか?と、この写真の撮影者で、彼女の親友、そして私の良き相談相手であるミューンに前回の訪問時にけしかけれていました。
フォンのお父さんはすでに例の戦争によって他界、母親と暮らしていましたが、60を超えていて体もあまり強そうには見えませんでした。
なので、もちろんフォンの希望は私がこの地に来て、一緒に何らかの商売をするということはずっと前からわかっていました。
ここのお店は、ベトナムのお金持ちの邸宅(と思われる)の庭の片隅にある質素な感じの静かなカフェーです。
ホイアン滞在の最終日、私はここで、フォン、ミューン、そして友達のシャレー、その彼氏(現旦那)と一緒にビデオを見ながら過ごしていました。
その後、私とフォンは二人きりにされ、3人は先に店の外に出ました。
(私が例の件の回答をするためです。)
この時私は彼女に何と言ったかほとんど覚えていませんが「もう来れない。」という趣旨の事を言って、すぐにこの場を立ち去ったように思います。
店の外に出ると3人が立っていましたが、おそらく私の顔がすごく強張っていたので、どんなことがあったかを察して私には声をかけなかったんだと思いました。
店の周りは今と違って、ホテルもお店も少なく、暗がりを一人でとぼとぼ歩いていったような気がします。
それからは、一切電話や手紙のやり取りもしなければ括弧よかったのでしょうが、3年後にミューンに連絡を取ってしまいました。
その時にフォンは1年前に結婚して、ダナンに移りすんだことを聞きました。そして、ミューンはフォンのお母さんと一緒に住んでいると。
10年後の今、あのカフェーに来てみると、邸宅はホテル(前からそうだったのかも知れませんが)になっていて、敷地内にはレンタバイクなどがおいてあり、なにやら賑やかな雰囲気です。おまけに、カフェーもすごく綺麗に改築され看板にはでかでかと「メモリー・カフェ」などと書いてあります。(前からこんな名前だったのでしょうか?)
その夕方、私は屋台でお風呂いすのようなイスに座りながら、ビールを飲んでいました。
すでに3本目が開いていました。
私は、フォンが酔っ払いが嫌いだという理由で、この町でビールを一本以上飲んだことはありませんでした。
なんとなくこうしていれば、彼女が怒りながら自転車で駆けつけてくるのではないかとボンヤリ思っていました。
しかし、3本目は飲みきることができずに、この日は宿に戻りました。
10年ほど前に来た時は、道もまだガタガタで、古いヒュンダイのワゴン車もショックが抜けきってるようで、いちいち道の突起を正確に捉える様に振動し、非常に頭が痛くなったものでした。
今では道路もきれいに整備され、ダナンの街にはコンドミニアムや建設中のリゾートマンションが多数見受けられました。
2000年11月私はある決断をすることに迫られていました。
彼女(フォン)が22歳の時に知り合ってから、私はたびたびこの地を訪問し、その時、4年間経過しているので、すでに26歳になっていました。
ベトナムのしかも小さな地方の町で26歳というのは決して若くはないし、そろそろ交際期間も長くなっているので、結婚はどうするのか?と、この写真の撮影者で、彼女の親友、そして私の良き相談相手であるミューンに前回の訪問時にけしかけれていました。
フォンのお父さんはすでに例の戦争によって他界、母親と暮らしていましたが、60を超えていて体もあまり強そうには見えませんでした。
なので、もちろんフォンの希望は私がこの地に来て、一緒に何らかの商売をするということはずっと前からわかっていました。
ここのお店は、ベトナムのお金持ちの邸宅(と思われる)の庭の片隅にある質素な感じの静かなカフェーです。
ホイアン滞在の最終日、私はここで、フォン、ミューン、そして友達のシャレー、その彼氏(現旦那)と一緒にビデオを見ながら過ごしていました。
その後、私とフォンは二人きりにされ、3人は先に店の外に出ました。
(私が例の件の回答をするためです。)
この時私は彼女に何と言ったかほとんど覚えていませんが「もう来れない。」という趣旨の事を言って、すぐにこの場を立ち去ったように思います。
店の外に出ると3人が立っていましたが、おそらく私の顔がすごく強張っていたので、どんなことがあったかを察して私には声をかけなかったんだと思いました。
店の周りは今と違って、ホテルもお店も少なく、暗がりを一人でとぼとぼ歩いていったような気がします。
それからは、一切電話や手紙のやり取りもしなければ括弧よかったのでしょうが、3年後にミューンに連絡を取ってしまいました。
その時にフォンは1年前に結婚して、ダナンに移りすんだことを聞きました。そして、ミューンはフォンのお母さんと一緒に住んでいると。
10年後の今、あのカフェーに来てみると、邸宅はホテル(前からそうだったのかも知れませんが)になっていて、敷地内にはレンタバイクなどがおいてあり、なにやら賑やかな雰囲気です。おまけに、カフェーもすごく綺麗に改築され看板にはでかでかと「メモリー・カフェ」などと書いてあります。(前からこんな名前だったのでしょうか?)
その夕方、私は屋台でお風呂いすのようなイスに座りながら、ビールを飲んでいました。
すでに3本目が開いていました。
私は、フォンが酔っ払いが嫌いだという理由で、この町でビールを一本以上飲んだことはありませんでした。
なんとなくこうしていれば、彼女が怒りながら自転車で駆けつけてくるのではないかとボンヤリ思っていました。
しかし、3本目は飲みきることができずに、この日は宿に戻りました。





