待ちに待った コムローイのひ!

最後の旅行かもしれないし

それはそれは楽しみにしてたし。

その時間までは

楽しかった!


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民族衣装着たり。さ。


そして。


コムローイの時間。


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この時間。


いっせいにあげるのだけど


動画を撮ろうと


上げずに見ていた。


きれー!と


言ってみていた数分後。


悲劇。

隣の大人親子。

おばちゃんが上げたコムローイが


私の顔に飛んで来た。


熱い。熱すぎる。


コムローイはデカイのだ。


大人2. 3人で持たないと上がらない大きさ。


そして、火をつけてから


充分、熱がコムローイの中に溜まるまで


手を離してはいけない!


アナウンスが何度も流れていたのに


隣のおばちゃんがすぐに手を離し上げた。


熱がまだ溜まってないため

超低空飛行


しかも、ずっと上がらないまま


私な顔に来た。


熱さとコムローイに当たって


転けた私。

すぐ横に


デカイロウソクを立てる棒が


各自置いてあり


それにぶつかり


ロウソクが垂れて


両腕がロウソクまみれになる。。。


熱い熱い熱い!!



パニック。


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こんなにキレイな時に。


やっとこさ、立ち上がると

ニコも立ちすくんでて。


そして、ふと目をやると


真横の旦那は隣のおばちゃんと


私にコムローイが当たった

おばちゃんと

コムローイを一緒にあげようとしていた。


はい?なぜ?


キャーキャーどうしたん?



聞いてきた。


隣のおばちゃんは


旦那とコムローイを持ちながら


苦笑いしながらみてくる。


はあ??


いつもそうなのだ。


旦那は肝心な時。


こっちが大変な時。

見ていない!


周りに居た違う家族の奥さんが


大丈夫だった?見てても怖かったよ!

と声をかけにきてくれた。


大丈夫では全くなかった。


旦那に、おい!

何をコムローイをおばちゃんとあげとるの?

見てなかったの?

え?




いや。。。


キャーキャーゆうてるなーとは思ったけど。


コムローイが当たってたとは知らなかったー


とりあえず、気を取り直して

俺らのもあげよ!


と言った。


はあ?


もう、完全にブチ切れて。


手にロウが垂れまくってるし


転けて腰打ったの!


と怒りながらゆうと


俺が悪いわけ?


何で俺に怒るの?



言い返してきた。


はあ?

やったら、

あのおばちゃんにゆうわ!


あいつ謝りもせんとおるんやから。


おばちゃんにゆうわ!



言うと


まあ、ええやん。

そんな怪我もなさそうなんやし!


と言う。


いつもそうなのだ。


その場を丸く収めたい人すぎるのだ。


そのまま、無言が続き。


コムローイどころじゃなくなった。


私はおばちゃん親子を睨んだ。


旦那も睨んだ。



で、コムローイは終わりました。


帰りは夫婦喧嘩のまま


さいやくの旅行。



これが、もし、カップルなら即お別れだ!


まじ!でそう思う。


私たち、夫婦は

年の半分

離婚したいと言う話しになる。


あーもう、別れたい!


と何百回も言った。


結婚するまで


1度も喧嘩したことがなかったのにだ。


結婚した途端、喧嘩ばかりになった。


旦那さんは、あー見えて


優しい優しいと周りに言われていたけど


めちゃくちゃ頑固で、意地ぱりだ。


優しくはない。


で、そんな夫婦喧嘩の


タネは


だいたい、いつも、こんな内容のバージョン違い。


ぼーっとしている人だし


他人にマジで興味がなく


夫婦だろうとあまり興味がない。


なので、気づかない。


病気になろうと、怪我をしようと


それを伝えようと


あまり、聞いていないのだ。





もーマジでいやになって。


何で結婚したら、別れちゃいけないんだろ?


なんでだ?と毎回思ってきた。


まあ、そんなこんなで次の日。


あまり、ヤル気もなく


起きて、ホテルのロビーに居たら


キレイなおばあちゃんのちょっと前くらいのご婦人が


話しかけてきた。


昨日は大変だったわね。

娘さん、昨日お利口だったわね。


って。


え?


コムローイが当たったのを見てたのか?


あたし、周りには、あのコムローイ当ててきたおばあちゃんと

話しかけてくれた家族以外


目に入ってなかったから


覚えてなくて。


どのことを大変だったわねーと言ってるのか分からなくて


はーい😅

大変でしたねーと


曖昧に答えた。


そのキレイなご婦人


その後何度か


行く場行く場で会うようになる。


帰りの飛行機を待っている時


ご婦人がまた近くで


話しかけてくれた。


それでしばし話していると


ご婦人は15年前に

駐在でタイに住んでたそうだ。


子供は居ないのよって言っていた。


私は思わず


いーですね( ˆᴗˆ )!と言った。


それは、子供が居なくて


仲良く生活しながら


旅行に15年経っても来れる!と言う


生活を想像したのだ。


そしたら


ふふふーと笑いながら


喧嘩ばっかりなのよー


5分に1回喧嘩してるのよー


おかしいでしょー


え!そうなんですか?


あなたもあっとゆー間よー!


15年なんてーふふふー


と笑っている。


えー!ほんとですか?


うちも喧嘩ばっかりでー


と言うと。


見てー。今も、主人は別の席に座ってるのよー!


見ると。全然違う席に

ご主人は座っていて


一緒には居ないのだ。


ねー笑


喧嘩ばっかりなのよー


とまた笑う。


えー!


そうなんですかー?


なんか、このご婦人だけが


今の私の救いのように感じた。


薄紫のアイシャドウがよく似合うご婦人で。


なんだろ。なかなか、薄紫が似合う人は居ないと思うのだけど


似合っているし、とてもキレイにしていて


愛想もよくって、気さくで、かわいー笑い方のご婦人で。


このご婦人が喧嘩ばかりなのー笑


…( ´ v `*)


と言うなら


まだ私にも未来がありそうだ


と思える出来事だった。


搭乗時間になり


ご主人がやってきて


後ろの席だから、早めに並んだ方がいい!と言いにきた。


ご婦人は、笑いながらハイハイ!

そうですね!


と笑いながら


こちらを見て


また、どこかでお会いしましょうね!


と言って行ってしまった。



その後、降りて、荷物を受け取るところでも会うのだけど。


ご婦人はまた、1人で


あの人、時間があったら、すぐにタバコで

行ってしまうのよーと笑っていた。


うちも、隙さえあればタバコなので

同じですーと言うと


笑いながら


ねー!また、どこかでお会いできたらいーわねっ


と言いながら、本当にさよならした。


そんな、最後の最後に


出会ったご婦人。かわいー気さくな人だったのだ。


そんな、笑顔で歳を重ねていたのだ。


喧嘩を5分に1回する!って言ってるのにだ。


あー私にまだ未来は明るいぜよ!と教えてくれる出来事だった。


ご婦人ありがとう。


またどこかで会えるかしら。


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気を取り直した写真。。。w












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大事そうにゆっくりゆっくり持って歩いて


眺めてた⭐︎


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自分で流してばいーばい!って言ってた😂


流した後、悲しくなって泣いてた!

母も泣いた😂


そんなそんな3回目の


大切な行事。ありがとう😂



iPhoneからの投稿

よく 雨が降りますね。

今も降っているのかな?


ニコが産まれて

この時期は

まだ赤ちゃんでした。

雨を見ながら

ベランダでニコを抱きながら

ゆらゆらしていたのを思い出します。

正直不安な毎日だったなー

ベランダで

ニコを抱きながら歌をずっと歌い続けて


夜になるのを見ていた時期でした。




日本人の友達には


伝えらる さよならや


ありがとうが


当たり前に。




タイ人や外国人には


伝えられなくて。。


あーそれで


上手く伝えられないから


言葉に出来ないんだけど


本当に心の中では


最上級のありがとうを思っていて。


彼女たちの前で


笑っていたり

片言の言葉で

ありがとう、あなたが好きでした


と伝えるので


込み上げてくるから


泣いてしまうのかな?


と思いました。


ニコが赤ちゃんの時は


別のアパートに住んでいて


外国人が、部屋を出入りするのにまだ慣れてなかったな。


掃除に入ってくれたり


何か話かけられる度にドキドキしていました。


なんだけど


だんだん、慣れて


ボサボサの頭に、おかしな格好の日が多い時期だったけど


そんな所に、2日に1ぺんくらいかな?

来て


数時間掃除してくれたり


そーゆう、私の、素の

ボサボサぐちゃぐちゃのありのままを

見てたのは


言葉の通じないアパートのスタッフさんだったし


ニコに来るたび


声をかけてくれて


私を気にかけてくれたのも


そーゆう人だったなー。


私の素を 当たり前に見る


スタッフの女の子たちでした。


そんな、タイ人との関わりから


2年半

たち


やっぱり、それは、変わらない。


新しいアパートの

スタッフさんたちも


もう、言葉には出来ないくらい良くしてくれました。


進歩なく、言葉が話せない私を娘を


ほっとかなかった。


私が風邪をひいた、足を怪我した、腰を痛めた、、、


などなど、たくさん


2年もあればあってさ


その度に


1番近くに居たのが、彼女たちで


病院に行く間、受付で抱っこして見てくれたり


私の部屋で、ニコを寝かせてくれていたりしました。


事情は、多分、見たらわかるんだろうな。


すぐに、引き受けてくれて

ニコを抱っこして、待ってるねーと

1言。


それは、信頼のできる、一言で


信頼のできる、人柄と、関係性が


出来ていきました。


病院に行かないといけなくて、ニコを
連れてけないくらいの時


一応、日本の友達にも連絡はしてたんやけど


携帯で連絡して、都合を聞いて来てもらうより


タイ人の彼女たちが、すぐ近くに居て


早かったから。


そこも、言葉がお互い通じないからこそ

ただ、ただ、信頼と。


いいよ!と、お願いするね!っていう、シンプルな


もう、家族みたいな?は違うけど


それくらいシンプルに、私は頼っていたなーと思います。


それは、会う度、私の部屋に来る度


赤ちゃんからのニコに対して


本当に本当に、可愛がってくれていて


我が子の様にくらい


もう、近くで娘を見てくれていたのを


私も知っているから


成り立った事ばかりでした。


預けるとなっても、彼女はちょっと嬉しそうに


しずかに、

いいよー!と言うだけなんだけど


私より、あやすのも、娘を褒めるのも


上手で、ストレートで。


喜んで、子育てを手伝ってくれていたなーと


ずーっと思います。


ニコが大きくなると


よく行くデパート


よく通る道


よく行くカフェで


また、私たちを気にかけてくれる人たちに

たくさん出会いました。


もー、成長を一緒に見て、喜んで

何かあれば、心配して、

薬まで探してきてくれるような


そんな、見守り方を


またまた、そんなに言葉は通じてないのに


してくれてました。


道によく迷う親子でしたが


道を聞くと、その場所まで一緒に行ってくれる人もいました。


私の人生の中で


言葉の通じない人が


心から笑いかけてくれる


気にかけてくれる


助けてくれる


と言う、常識はありませんでした。


だから、


ただその現実の積み重ねが


あー、他人に優しくできる

してくれる


親しい友人だけに頼るのではなく


なにか、あれば


その場にいる、通りすがりかもしれない人が助けてくれるんだ


心配してくれるんだ


娘を見守ってくれるんだ


と知れた事は


人生で1番大きな大切なことです。


だから、通りすがりでもう会えないかもしれない優しい人や


いつもの場所で待っててくれるあの人たち


の、あの笑顔や、言葉

は、忘れられないし


挨拶をしに行けば


本当にさみしくなるんです。


本当にたくさんの気持ちを伝えたいのに


たくさん話したいのに


言葉には出来ない気持ちがたくさんあって

何をもっても

表現しきれないから


胸がいっぱいになって


涙が溢れてきます。


言葉が通じる、通じないは関係なかったな。


他人なんて居ないのかもしれない。


私の日本にいたら

絶対知ることのなかった

現実を知ることが出来たなー。


ありがたかったなー


嬉しかったなー


大好きだったなー


伝えたいなー伝わらなくても


きっと伝わるって思っていて。


だけど、泣いちゃうんだろなー


そんな、毎日です。


親しい人だけが友達で


昔かや馴染みの人にだけ


助けてもらう、心配する


違うなー


きっと違うよー


行き交う人も


言葉が通じなくても


大切にできるししてもらえるんだなー


ものすごく大切な経験でした。


それが、ここに来て1番の嬉しかったかとだ!






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