さよなら、米じいちゃんo | SAKULAのラブ&ピーナッツ

さよなら、米じいちゃんo

わたしのママのお父さん、つまりはわたしのおじいちゃんが先日亡くなりましたo
103歳10カ月o明治・大正・昭和・平成を生きた長い長い人生でしたo

おじいちゃんは戦前より東京の板橋で米屋を営んでおりましたoつまりママの実家が米屋でありますoお店と自宅の居間が硝子戸1枚でつながっている下町昭和スタイルoまさに寅さんの団子屋のスタイルでありますo

米屋だったので我が家では祖父母の事を“ 米じいちゃん、米ばあちゃん ”と呼んでいましたo
わたし小さい時、積み上げられた精米したての米の上でいとこ達と遊んでおったわけですo(今思うと商品だったのねoごめんなさいo)

大人になってからもよく板橋には遊びに行きましたo実家横浜から通っていた専門学校が高田馬場だったから、ひとりで板橋寄ってから横浜帰ったりo
そして孫達がみんな30オーバーのいい大人になったのに、遊びに行くとお菓子の個包装を1個1個開けてくれるとゆう、本当に優しいおじいちゃんでしたo

わたしが結婚する時は、旦那と挨拶に行きましたo「いい男じゃないかー!」と、すごく喜んでくれてビールをたくさん旦那についでくれたo
じいちゃんもご機嫌に酒を飲み、私達に詩吟(祝い歌?)を歌ってくれたo長々と歌ってくれたo延々歌ってくれたo終らないからみんなで拍手をして終らせるいつもパターンo(笑)

そして縁側の庭にある、米じいちゃんが集めた(?)らしい「世界の石セレクション(←謎)」を旦那に一生懸命説明してくれたo(笑)
その時に撮った写真が、旦那と米じいちゃんが唯一いっしょに写った写真となりましたo
おじいちゃん、嬉しそうoこの時98歳o

100歳のお祝い会をしたあたりから、介護ベッドに寝るようになった米じいちゃんo
だけどたまにデイサービスに行くくらいで、ちゃんと座って自分でごはんを食べるとゆう元気さを保っていましたo


わたし、最後に会ったのが今年の夏だったんだけど、そのときはベッドでグウグウ寝ていましたo目が覚めても目をつぶっていたので「米じいちゃん!さくらだよ!横浜のさくらだよ!も~米じいちゃん、せっかく会いに来たんだからボケたふりしないでよ!(笑)」と言ったら、じいちゃん、プププと笑ったo
それが最期の会話でしたo

そしてわたしはその時なぜか「これが米じいちゃんに会うの、最期かもなo」となぜか思ったのでしたo
普段は絶対そんなことしないのに、じいちゃんの庭の小さな石をひとつパクりましたoそれがじいちゃんに旦那を紹介した時の、わたしにとっての大切な思い出のすべてを表すモノだったのですo
ただの小石oでもわたしにとっては大切なモノoあのときパクってきて良かったo


いつものように大好きなお酒を晩酌し、バナナを食べて、眠りにつき、そのまま亡くなりましたoしあわせな最期でしたo

米じいちゃん、36年間わたしをかわいがってくれて本当にありがとうございましたo
七段飾りの立派な雛人形も買ってくれてありがとうoランドセルも買ってくれてありがとうoたくさんの旅行も楽しかったねo

スーパー大往生だから、みんな明るく送るつもりだったんだけど、一緒に生きた時間が長かったからやっぱりつらかったo

天国の米ばあちゃんとまた仲良くケンカしてねoさよなら、米じいちゃんo
わたしは米屋の孫だからこれからもずっと、おかずを残しても、一生、ごはんを残さずに食べると思うよo

あーもう!うしろにお父さん入っちゃったー!(笑)せっかくの2ショットなのに!!(笑)