こんばんは、外房で暮らすサラリーマン17回生です。明後日から幼稚園の年長になる息子と会社経営をしている妻と、ロシア🇷🇺系猫と田舎暮らしをしています。
不登校の子たちのニュースを見ていたら、
「みんなが学校に行っているのに自分だけ家にいる事が悪い事だって感じる」というお子さんの心情が述べられていました。
昔の自分もそういう時期があったな〜と昔の記憶が蘇りました。
それは大学受験に失敗して浪人生活をした時です。
同級生は大学生になって学校に通っている。
一方、自分は近所の喫茶店でアルバイトをしている。
勉強から少し距離を置くため、また受験費用を自分で賄うためでした。
で、当時はずっと怖くて、先も見えなくて、不安でした。本当に。
というのも、何者でもない存在(どこの組織にも属さない状態)になってしまい、来年自分が大学に受からなかったらどうなるんだろうという漠然とした、しかし心底に滞留した澱みが身体を包んでいました。
それまで、一応小中高と歩んできて学校に行き、その年齢に相応しい社会の構成員として他者からも自分でも認識していたので、突然、その鎖が外れ、フラフラと空中を漂う綿毛のような感覚でした。
母親からは家にいる時は必ず勉強してるの?という視線を投げかけられ、やる気にならない気持ちをなんとか捨て去り、Z会のテキストを読み込んでいました。
現役時代に予備校に通っていたのですが、自分には合わないと感じ通信教育に切り替えました。
また、費用も安く抑えられたので。
アルバイトを週に5日、日中の9時〜17時半まで行い、帰宅後、夜2時間〜3時間くらい机に向かっていました。
で、浪人って孤独なんです。
周りに誰もいないですし、浪人仲間もいなかったので。
英語はひたすら単語を覚えて、ひたすら長文読解を解く。英作文を作る。
世界史は300字〜800字の論述を行いました。
国語は現代文と古文を半分ずつくらい解いていました。
レールから外れ、何者でもない存在という無言のプレッシャー、
来年は必ず大学に受からないといけないというもう一つのプレッシャーの中、受験期が近づくと精神的に更に追い詰められていきました。
結果として、希望の大学に合格する事ができましたが、あの1年の精神的な苦しみは今でも忘れる事ができません。
ただ、その経験があったので、社会に出てから一時期離職期間を利用して、タイの農村に滞在したり、コンサートのアルバイトをしてツアーを回ってみたりという、アウトロー的な生き方の一部を体験できたのだと思います。
だから、学校に行かない不安や後ろめたい気持ちはよくわかります。いえ、一部かもしれないですね。すみません。
でも、人と違うこと、組織に属していない事って慣れて終えば、それはそれで普通の状態になるんですよ。
どちらが良くてどちらが悪いというはなしではなくて。
だから、学校という集団に属していない自分を責めたりしないで、自分らしさを見つめ直すいい時間だと思って過ごして貰えたら嬉しいなと思います。
学校に行かない平日の午前中、スーパーやコンビニ、マックやショッピングモール、公園などは空いている事が多いです。
そういう所でゆっくりとその場所の時間を味わって、居心地の良い空間があったら、通ってもいいですし、お気に入りの場所として大切にしてもいいですよね。
僕も学生時代、学校を休むと居心地が悪い気持ちがしました。
なんだか、サボっているような。
しかし、今思うと、僕が休もうが休まなかろうが、周りはみんな他人なので、大して興味がなかったと思います。
多少、何か言われても実際はなんとも思っていない。
だから、友達や先生などの他人ではなく、自分の気持ちに正直になって、心の向かう方向に意識を向けていけたらいいなって思います。
みんなで同じ事をする、みんな同じような生活、買い物、教育、仕事、そういうものから外れて生きるのも、それはそれで自分の意識が変われば普通になりますから。
もっと自由に、風の向くまま、心の向くままに生きる道を決められたら楽になりますよね。
風の時代がすぐそこまで来ているような気がします。
