こんばんは。
千葉県は外房、大網白里市で育児と家事とサラリーマン業をしている17回生です。

最近、年中の子供の幼稚園バッグから度々、ランドセルの広告が出てくるようになりました。

パラパラと見ていると、34年前には見られなかった水色や黄緑、紫などのカラフルな色のランドセルがたくさん販売されていることに気がつきました。

価値観が多様化しているので、子供の好きな色に合った色を追加しているのだと思います。
それだけ、ランドセルビジネスの新規参入と競争が激しくなっているのかな〜と感じます。

ただ、ふと思うことがあります。
なんでランドセルは必要なのかという事に。

経験上、皮でできているので教科書や文房具を入れていない状態でも重いんですよね。

布製の軽いバッグにしたら、小学校1年生や女の子の負担も減ると思うんですが。。

小学校に上がる時にランドセルを買う。
しかも5万円〜7万円もする高価なものを。

誰が決めたんですか?ね。
確か、ヨーロッパやオーストラリア、アメリカでは好きなバッグで良かったような。

これは一つの教育界に入信する儀式(イニシエーション)なのではないか。

国家が計画した公教育を国民が受講するには共通するシンボルを作り、求心力を持たせなければならない。

それがランドセルなのだと。

親たちは子供を公教育に預けられる豊かさの象徴としてランドセルを買い、学校はそれを利用する。
ランドセルの値段や質を変えているのは、その射倖心を煽っているからですよね。

そして、学校という組織に入会する。

そこからどんな理由があろうと脱落するものはマイノリティとして、普通ではないもの。
公民ではない奴婢や蝦夷のように扱う。

かつて、日本でも少数民族であった蝦夷やアイヌが力で同化政策を強要されたように。

なんでみんなと同じように手をあげないの?
何故、先生の言う事がわからないの?

集団生活を徹底的に叩き込み、はみ出すものを出してはいけないという雰囲気が全体を覆い尽くす。

みんなが勉強するのを騒いで邪魔をする行為は止めるべきですが、周囲に迷惑にならない範囲で自己を主張する子供に対しても、集団の論理を盾に教師の意思を貫こうとするのは間違っているし、理解ができない。

そう、そういう子を排除したい。

子供は元気に挨拶をするべき。
子供は元気に遊ぶべき。
子供は勉強に率先して取り組むべき。

そういう決めつけと習合主義がランドセルから垣間見える。

だから、ランドセルを買ってしまったら、レールから外れてはいけない。
外れた方がおかしいんだと思わざるを得ない気持ちになってしまうのではないか。

それこそが、今学校と距離をおく方々の根本に根付く想いなのではないか。

僕も学校に行ってはいましたが、小学校も中学校も苦しい思い出が多いです。

運動も勉強も辛くはなかったんですが、好き嫌いを平気で生徒に行う教師やいじめ、ハラスメントをするクラスメイトが嫌でした。
要するに人間関係です。

大学、社会人になり小中学校が社会的に異質で、閉鎖的な過疎地の村だったんだなと感じるようになりました。

コンプライアンスを重視する企業の方がよっぽど学校より居心地がいいんですよね。

皆さん人を傷つける事をしませんので。

今は内申点が関係ない通信制高校からAO入試で大学に行けばいいですし、大学で学びたいものがなければ好きなことを仕事にするための勉強をすればいいのかなと思います。

なんだろう、もっと気持ちを軽く自由に風のような感覚で生きていけたら、生きていて楽ですよね。

これからはそういう時代になっていって欲しいと願っています。