こんばんは。
僕は外房は大網白里市の分譲地に引っ越して来て4年になるサラリーマン17年生です。

妻と5歳になった一人息子とロシア🇷🇺から来た猫と暮らしています。

うちの子もあっという間に5歳になり、
来週からは幼稚園の年長さんに進級する程大きくなりました。

この5年間があっという間に感じられ、まだ赤ちゃん感覚で接してしまう事があります。
でも、それはよくない事だと反省しています。

実はこの地に引っ越して来てから3回も転職をしているんです。
引っ越し当時の会社は、コロナ禍をキッカケに完全テレワークの直行直帰スタイルの営業に変更になり、入社して4年目だった僕は仕事にも慣れていて、悠々自適に在宅勤務を過ごしていました。

ただ、当時は朝起きてから夜寝るまで絶えず息子と過ごしていて、家事もほとんどを行っていたので、正直かなり疲れていました。

毎日、朝起きてから食事の支度、洗濯、洗い物、お風呂掃除➡︎9時〜17時半までテレワーク➡︎夜ご飯の支度、お風呂、寝かしつけという流れが平日は続き、休日は公園で自転車に乗ったり、サッカーをして過ごしていました。

そんな時、給与が良い会社からスカウトが届き、息子の将来を考えて転職を決意しました。
ただ、その会社は東京の西部は日野市にあり、単身赴任をすることになりました。

月曜日の早朝、分譲地のバス停から高速バスで駅に向かい、金曜日の夜家に帰って来る生活が始まりました。

育児や家事から解放はされましたが、息子の声も顔も見れない生活はとても辛いものに感じました。
福利厚生はとてもよく、会社から徒歩1分の場所に1LDKの綺麗な社宅を月1万円の負担で住むことができました。帰省手当や単身赴任手当もつき、金銭的には問題がありませんでした。

ただ、やはり家族は一緒に暮らして毎日顔を合わせて喜びも悲しみも共有したいなと、仕事が終わり帰宅した部屋で毎日感じていました。

また、息子も月曜日の朝早く僕が東京の会社に行く事がわかっているので、金曜日の夜から日曜日にかけて、パパは明日東京の会社に行くの?と聞いて来ました。そして月曜日の朝5時半には起き出して、泣きながら「パパ行かないで」で何度もすがりついて来ました。

その時に、僕はなんて大切なものを失くしてしまったのだろうと心底後悔をしました。
多少の給与アップと引き換えに、子供と過ごす時間を無くし、息子の心に傷をつけてしまっている。そんな状況を選択した自分を呪いました。

布団の中で目を赤く腫らしながら涙を流している3歳の息子の手を離さなければならない瞬間は本当に辛かったです。

ごめんね。と何度も言い残し、家を後にしました。

そして、1年も経たずに東京の商社に再度転職をして、自宅から通勤をする形になりました。
単身赴任とは違い、毎日自宅に帰って来られるようになり息子の表情も明るくなっていきました。

パパ、ボール遊びしよう!と晩御飯を食べてから、ソファー越しにキャッチボールをして遊ぶ時間が仕事での心の疲れを癒してくれました。

辛い想いを沢山させてしまったけれど、
「パパは頑張って働いてくれてるんでから、いいんだ」と優しい言葉をかけてくれました。

本当に大切なものに気づくことができました。

ありがとう、そしてごめんね。