話題の『セクシー田中さん』を読んだ。

作者さんの悲劇については部外者が想像で話しても仕方がないので、今日は作品の話をしたい。

 

一見コメディのようなタイトルだが、ストーリーは非常に真面目に作られている。(一読しただけでも、ものすごく真摯に作られていて安易に触っちゃいけないって分かると思うのだが…。)

 

物語は2人のヒロインを中心に進む。

まずはタイトルロールである、昼は化粧っ気のない経理のAI、夜はベリーダンサーの田中さん。自分には取り柄がないと思っている語り手の朱里。

これは女性ならではの生きづらさを抱えた二人が背筋を伸ばして、前を向いて歩いていく物語。

年の離れた二人の間に、相手への敬意に基づく友情が生まれていく様が感動的だ。

 

同時に、これまでの少女漫画に対する挑戦も随所に仕掛けられている。

まず、田中さんが途中で美女に変身したりなんてことはない(よくある、メガネを取ったら美人だった!→急にモテモテ、みたいな超常現象は起こらない)。

 

そして王子様は登場しない。

令和になっても、女の子がなにもせずに(笑)王子様に愛されるという少女漫画の図式は変わっていない。これはまあ、漫画の持つ現実逃避的な娯楽という側面を考えるとこれからもそうだろう(個人的にはそういう漫画も楽しいとは思っているが)。しかし、この漫画にはお金持ちで仕事が出来て、女性にそっけないのに私にだけは優しいスーパーダーリン(笑)は登場しない。

 

むしろ、「男らしさ」にがんじがらめになった男達が登場する。朱里に昭和脳と批判される笙野は、男尊女卑的な価値観に縛られているし(後に田中さんと交流を深めていくにつれ変わっていく)、朱里の好意を知りつつも、リスクは取らず朱里の一番親しい異性のポジションをキープしようとする進吾は、女と違って男は逃げられないという固定観念に囚われており、男性であることの生きづらさを抱えている。

 

また、男性陣の見た目も従来の少女漫画と違っている。実は私は主要キャラの一人、小西をずっとモブキャラだと思っていた(笑)。物語が進んで朱里は小西と付き合い出すのだが、普通の少女漫画では標準身長、モブ顔の男性がヒロインと付き合うなどはあり得ない。

田中さんが片思いしているペルシャ料理店オーナーの三好なども、少女漫画らしからぬオジサン(ただしフェロモン系)のビジュアルだ。

 

そして、男性の中でもメインのキャラクターと思われる笙野と田中さんの間に芽生える、姉弟のような友情。物語が未完である以上想像しても仕方がないのだが、個人的にはこの二人の恋愛エンドではない結末を期待してしまった。王道を外したこの漫画だからこそ、結ばれなくても私たちを納得させる結末を見せてくれたのでは、と思ってしまうのだ。

 

ネタばらしになるが、物語はおそらく起承転結の「転」に入ったところだったのではないかと思う。

田中さんは三好と付き合うことになり(三好が男女問わず誰にでも優しいけれど何にも執着しない、典型的な深入りしてはダメなタイプだというのは読者には分かるけれど、田中さんには分かっていない)、笙野はお見合い相手ふみかと順調で(このふみかも現代女性の生きづらさを体現したキャラ)、最新話は田中さんのベリーダンスのライバル出現(?)というところで終わっている。

 

「田中さんが誰を選んでも

 誰も選ばなくても

 背筋をピンと伸ばしていても

 時々 曲がっても

 私は いつでも 田中さんの味方です」

これは朱里が田中さんに語るセリフだが、これだけ丁寧に作っているので作者はラストを考えていたと思う。田中さんと朱里の選択を知れないのが返す返すも残念だ。

 

芦原先生の魂が安らかでありますように。