市役所の役員に根掘り葉掘り聞かれたので答えたのですが、自殺を図ったと言うとやはりみんな沈痛な面持ちをされますね。
保育園の途中入園申し込みをしてきました。
これで来月頭に結果が出ます。保育園が決まれば育児ノイローゼもぐんと楽になることでしょう。
ここまで本当に長かった。自分の時間を取れるようになるまで4年間、この忙しなさを一体誰が想像できるでしょうか。
実は未だに自殺をすることがそんなにも悪だとは思えません。
思い返せば、私は幼少期から酷い躁鬱になっていたのだと思います。
母親、父親と祖母の酷い過干渉と心身への暴力によって、小学生の時から包丁を握り締めて怒りに震えたり、鞄にお守り代わりに忍ばせようとしていた時もありました。
お前を殺して私も死ぬ、そんなことばかり考えていました。
中学校の頃は、楽な死に方を書きまとめたメモ用紙をお守り代わりに持っていました。
家庭環境は変わらず劣悪で、祖父母の家に「お前たちは捨てられたんだよ」と言われながら移り住むことになりました。
そんな環境に耐えられなかったら死ねばいい、死ぬ選択肢は残っている、だからまだやれる、そう言い聞かせて自分を落ち着かせていたように思います。
死は救い、そう考えていたこの頃から既に死生観が歪んでいたようです。
殺してやると家族に恨みを向け続ける小学生だってそうそういないですよね。
根本的な歪みを放置して今に至るので、育児ノイローゼの脱出法に死を選んだ自分の感情は十分に理解できます。
きっと旦那にはわかってもらえないでしょうが。
答えられないものは曖昧にして流す、日和見、そういった言葉が似合うので、とことん突き詰めて壊れていく私の心情はきっと分からないでしょう。
私が限界を超えてもきっと気付かないでしょう。
だっていつも私が分かりやすくSOSを出しますもの。
死に方一覧のメモは紛失しましたが、内容は未だに覚えています。
大砲で後頭部をふっ飛ばす、酩酊した状態でくるぶしまで深さのある川や海へ行く、手首を切って傷が塞がらないよう水につける、などなど。
実家の窓枠には、恐らく当時自殺を図った際に括りつけたベルトが今も放置されている事でしょう。
想像力のない人達だから、ベルトを片付けるのも面倒くさがって横着したと思ってるんじゃないかな。
あんな奴らのために死ななくてよかった、とも思うし、こんな辛いことだらけなら死んでおいても良かったな、とも思う。
2人を産んだから義務は果たしたかな、とも思う今。
まだ薬も飲み始めたばかりだし、鬱の傾向が強い文ではないでしょうか。
人生のほとんどが鬱々としたものだったので、なんの憂いもない人生というものが分かりません。
恵まれた、では無く、憂いのない、このニュアンスが伝わらない人とは何を言っても分かり合えないと思います。
取り留めのない文章を垂れ流しました。
寝ます。