自分が立っている立場の重要性…なのか…恵まれた立ち位置…なのか、重さ…なのか。
僕たち在日朝鮮・韓国人を数える時に、一世、二世という、あまりにも有名な呼び方がある。
僕は三世で、アボジの世代が二世、祖父の世代が一世。
僕たちの子どもの世代は四世と呼ばれるが、これは大まかな括りで、渡ってきた人を一世と数えるのが正しいならば、厳密には…いや、理屈的には世代で分けるものではない。
僕は祖父が渡ってきて、父が日本で産まれて、僕はその次だから三世だけど、僕の子どもの世代にいるはずのチセ自身は四世ではない。
遅くに渡ってきた人もいたり、ニューカマーと呼ばれる人もいてるからだ。
そう考えると、もはや三世四世の呼び名も間もなく意味をなさなくなるのだろうけど、今僕たちは厳密な意味の方ではなく、祖父母の代、父母の代、僕たちの代、次の子どもたちの代として「世」を使っている。
僕は若かった今までは、やはり自分を真ん中において作品を書いてきた。
しかし今、もう二世と呼ばれる人たちも高齢化してきて去っていく事も多いなかで、元気に作品を作れる時間。僕たちは一世が元気だった時を見ていて、下手くそな日本語で一生懸命生きてた時を見ていて、可愛がってくれた手の温かさを感じていて、そして自分を照らし合わせてみて二世の人たちが青二才だった時代を、子どもの目で刻んできた。
自分に甥っ子が誕生して「ボクサー」以降は「託す」事を目標としてきて、今、作品を描くうえでチセが自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の口で語って、自分の哲学で作りはじめた。
多分、一世を見て、二世と生きて、三世として今も生きて、四世に託し、もしかしたら頑張って生きて描き続けたら五世と作れるかも知れない。
在日という存在の始まりからを描ける最後の世代なのかな、と感じる。
チセらの代に対してもデレデレなのに、その子どもたちの世代になったらどうなるのかな?
憎しみの曇天と罵り合いのドス黒い雨はその時も醜く降り続けてるだろうけど、かならず大きな大きな傘をさしてやろう。
「大丈夫大丈夫。おじいちゃんはな、色んな仲間と一緒に生きたんやで」