セッション | デペイズマンの蜃気楼

デペイズマンの蜃気楼

日々の想った事、出会い、出来事などなどをエッセイのように綴りたいなと。
時折偏見を乱心のように無心に語ります。

大学の頃の演劇部は綺麗な解散ではなかったけど、入部した時の一回生の期間が核になっているのは確かだと思う。
学祭の公演のために誘われて、翌年の代表を引き継ぐまでの、半年も過ごしていない二回生たち(一浪しているので正確には同い歳)との稽古の在り方って、人間関係を別にしたら楽しかった。
芸術短期大学でみんな学部が違うし、日々作る課題も違うから、稽古に集まれる時間がどうしても合わせられない。
今社会人劇団をやっている縮図でもあったように思う。
職場も部署も担当も仕事終わりの時間も違う、みたいな。
授業終わりの時間に教室を抑えておいて、先に終わった団員から稽古場に来る。
みんな普段が「物を作る」のが日中だから授業中は映画を作ったりグラフィックデザインをしたりと、頭を演劇に向けれない。
だから稽古場に来たら、ここぞとばかりに一人で動いてセリフを発して個人練習に勤しむ。
すると別の授業を終えた団員がやってきて、先に始めている人のセリフに乗っかって自分の演技を始める。
絡む場面のない場合は、代役をやってあげて、自分の番になったら相手が代役を読んでくれる。
そうこうしているうちにそれぞれ授業や課題を終えた本役が現れて、カバンを乱雑に置いて加わってきて、次々に加わってやがて最後には通し稽古になっている。
いつしか代表兼演出がいて、彼女も出演者だからラストシーンまで突っ走る。
終えた後にそれぞれのダメ出しやお互いの演技の要求を話し合って、時間があれば「ほな、もっかい最初っからやってみよか」となる。
ほぼ全員が同い歳だから出しゃばり合えるのでできた、演劇の稽古というよりはセッションだった。
だから観客からは「作りが粗い」という感想は多かったけど、それぞれの音を受け止めるキャッチボールは確かだったように思う。
20歳のガキが集って、20歳のガキが見える程度の世界なのに世界の全てだと錯覚していたから、常にピリピリして割とドロドロと吠えあってたから、今でも否定はしないが肯定もできない空間の在り方だったけど、あのセッションの気持ち良さは今でも五感と六感の中で大きい。
あの音の作り方は、その後何度か試みたけど無理だったから、やっぱりあの時のあの環境でしかできなかったんだな。

今には今の場所が在る。

そういえばあの時代、一浪しても同い年だからと二回生に普通にタメ語で話してタメ語で吠えあって、タメ語でもめてたけど、今大学生の子たちを見ると先輩後輩関係がしっかりしている。
芸術大学だから緩かったのかな?
それとも周りは実は「こいつ、敬語使わんなぁ」と思っていたのかな。

予備校、大学と、外に飛び出す初めての日本社会と世界で、正直最初はビビり倒したけど、思い返しても僕は最初の入り口で

「受け入れられる」

事から始まったなぁ。

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