逆転した衝撃は | デペイズマンの蜃気楼

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日々の想った事、出会い、出来事などなどをエッセイのように綴りたいなと。
時折偏見を乱心のように無心に語ります。

漫画に於いて。
手塚治虫の始まりの衝撃の時代にも居ず、デビルマンの価値観の逆転の時代にも居なかった。
上の世代の人達が歴史がひっくりかえった瞬間を話すのを羨ましく思っていた。
そんな時に僕にも、脳みそを鷲掴みにされて強烈な電流を流されたビッグバンがあった。
大友克洋である。
角川アニメ「幻魔大戦」のオープニング開始早々、ビル群の夜景で放心状態になって設定画集に夢中になったが、「幻魔大戦」はアニメであった。
余韻が強烈に渦巻いてる毎日の中で、ある日布施のヒバリヤに立ち読みに入って「童夢」を見つけた。

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「あ、幻魔大戦の人や」と興味津々で開いたページが偶然にもマンションの上を飛ぶ老人と少女の見開きだった。
「そんなもんじゃなかったよ」と先代から怒られるかも知れないが、藤子不二雄が手塚治虫の「宝島」で受けた衝撃くらいだったんじゃないだろうか?
大友克洋の漫画自体は叔父が当時から全部揃えていて、いつも忍び込んで読んでいた(見ていた)ので存在は知っていたが、あまりのリアルさに怖さが先行していたのも事実。
まだ子供だった僕には「幻魔大戦」の登場までは苦味の方が大きかった。
小学校6年生の時に、脳内で描かれる画という感覚は完全に大友克洋に支配された。
まだ大友克洋を受け入れ難かった時期に「Dr.スランプ」を知ったけど、鳥山明は地続きで衝撃を受けれたけど、「童夢」からの大友克洋は天地をひっくり返された。
あんなに「動く」漫画を見たのは人生で初めてだった。
「武器よさらば」でのデジタルモニターの表現や、一眼レフのように被写体以外がボヤけるスクリーントーンの効果や、どう描けばそんな角度で描けるのかわからないパースや、「画で遊ぶ」という感覚を目の当たりにして、それまでヘラヘラ笑って読んでただけの「漫画」と真剣に対峙しようと姿勢を正した。
姿勢を正すと手塚治虫の偉大さを知った。
手塚治虫の漫画を読み漁って、今度は「まんが道」も真剣に読みはじめて右手の下にティッシュを敷いて漫画家を目指しちゃったりなんかして親を心配させた。
手塚治虫や藤子不二雄のデフォルメされたデザインも好きだったけど、けどやはり僕には大友克洋の画が一番だった。
大友克洋の絵を何回も模写した。
そんな時に「アキラ」が段々と大型台風になっていって、映画版は「ジャパニメーション」を世界に知らしめるムーブメントとなって、漫画の連載はいつまでも中断された。
満を持して再開したけど、四巻の最後に次回堂々完結「金田の章」の文句は見事に裏切られて「ケイの章」に変更されて、あと一巻分を待たされて身悶えする。
なんとか連載は終了したけど単行本に向けて大幅の描き直しが入るとの事で尚待たされた。

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ようやく発売されたのはMayも旗揚げした頃。
連載時とはラストが付け加えられて印象が大きく異なり、最後の最後のページに亡き手塚治虫に感謝の言葉を贈る本当に短い一文を読んで、歴史は何度天地がひっくりかえっても、必ず全てが繋がってるのを感じて目頭が熱くなった。