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養女である小田貴さんの特別手記は、病気が発覚してから亡くなるまでが臨場感あふれる筆致で描かれています。たとえば「薬や機械に頼ることなく、最後に自らの呼吸で旅立つまで、頭にあったのは”次の一本”」「苦しい呼吸の中、一生懸命言葉を発し続けてくれました。最後に聞きとれたのは、『慌てるな、慌てるな』でした」など、克明な闘病生活が綴られています。
亡くなる4日前に完成したという健さんの「最期の手記」は、本誌に戦後70周年企画で掲載されるや大反響を呼んだものです。病床で推敲を重ねて書いた原稿の最後には、「僕は、志があって俳優になった訳ではない。思いもよらない変化をかいくぐりながら、出逢った方々からの想いに応えようと、ひたすらもがき続けてきた。『往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし』」と死を覚悟していたかのよう。
長嶋茂雄、降旗康男、奈良岡朋子、沢木耕太郎など健さんと交流のあった著名人のインタビューや原稿、映画関係者による全205作品鑑賞ガイド、健さんが自ら答えた一問一答や愛憎品なども掲載。健さんが二度命を落としそうになった映画「南極物語」撮影秘話は涙なしには読めません。ガンと闘った余命いくばくもない医師との心温まる交流など、高倉健さんのお人柄が偲ばれるエピソードを紹介してくれたサンテレビ報道部記者の藤岡勇貴さんは「高倉健さんと不思議なご縁をいただき、そしてこのたびの文庫化を通じてこのことを世の中に知らせていただけることに感謝を申し上げます」とのこと。
目次
特別手記 高倉健というプライド―
小田貴(養女)
病床で振り返った83年の人生 最後の手記―
高倉健
独占インタビュー 健さんと生きた五十七年―
降旗康男(映画監督)
特別寄稿 深い海の底に―高倉健さんの死―
沢木耕太郎(作家)
憂魂、高倉健―
横尾忠則(美術家)
スペシャル対談
高倉健×国谷裕子(キャスター)
各界の著名人20人が語るとっておきの秘話
健さんと私
高倉健を男にした男たち―坪内祐三(評論家)
映画通6人による205作品鑑賞ガイド
健さんは二度遭難した 南極物語撮影裏話―
角谷優(元フジテレビプロデューサー)
ガンと闘った人情医師との往復書簡―
藤岡勇貴(サンテレビ報道部記者、当時、青森朝日放送アナウンサー)
高倉健はなぜ中国で「熱烈歓迎」されたのか―
劉文兵(映画評論家、東大大学院研究員)
痛快!健さん名言録―
吉田豪(プロ書評家)
自ら答えた「一問一答」
遺品コレクション