『訃報』
“若貴”はそれぞれ、
曙さんの急逝を追悼した。
貴乃花光司氏は所属事務所を通じてコメントを発表。「哀悼の意を表します。数々の闘いの思い出がありますが、相撲教習所に半年間通った頃の稽古の思い出が出てきます。土俵は3つあり 130名ほどで A土俵 B、Cと分かれます 私たちは、A土俵において猛々しく取組に励みました」と思い出を明かした。さらに「ハワイ諸島から来日し今日に至るまで日本の文化を感じて幾多の苦労があったかと思います。ハワイ巡業の際には地元ご家族も来ており、穏和な挨拶を交わしたことは新しい記憶のように思い出しています」と回想。「百折不撓の人生観だったと思いますが、これからは身を楽にして安らかに。 第六十五代横綱 貴乃花光司」と結んだ。
貴乃花は終生のライバルで
「曙貴時代」を築き、
幕内対戦は21勝21敗と五分だった。
元横綱若乃花でタレントの花田虎上は自身の公式ブログを更新。ブログに「曙の訃報に際し」と題して記事を投稿。「ライバルであり友であり苦楽を共にした仲間が旅立ちました 現在曙の訃報に際しコメントを求められていますが あまりのショックにお話できるような状態ではありませんので申し訳ありませんが文章にします」と衝撃をあらわにした。
その上で「突然のことに送り出す言葉が全く見つかりません お互い協会から離れて頑張ってきたけど 離れていてもいつも心にいました」と、曙さんとの関係性を説明。「切磋琢磨してライバルとして戦ってきた分愛情が深く 言葉では言い表せないものがあります」と動揺を隠せなかった。
さらに「また会いたい気持ちが強く 歳を取ったらハワイの木の下で同期生皆んなで会おうと曙と話していた その約束も果たせずただただ寂しいです」と回想。「ゆっくり待ってて ハワイの木の下でまた会おうね 会いに行くね」と締めくくった。
花田と曙さんは1988年春場所で
初土俵を踏んだ同期で、
「花の六三組」と称された。
幕内対戦成績は
曙さんの18勝17敗とほぼ互角だった。
■元横綱 来歴
曙さんはアメリカ・ハワイ出身。
昭和63年3月場所で初土俵を踏み、203センチを超える長身から繰り出す突きと押しで人気を博しました。
平成2年9月場所で新入幕を果たし、平成4年7月場所で新大関 に。そして、平成5年3月場所で外国人として大相撲史上初の第64代横綱となりました。
若貴兄弟とライバル関係を築き、1990年代の空前の相撲ブームをけん引しました。
生涯戦歴は654勝232敗181休(78場所)。
その後、平成13年1月場所で現役引退。
東関部屋に残り部屋付き親方とし後進の指導にあたったのち、2003年11月に日本相撲協会を退職。
2003年に大相撲協会を退職。同年にK-1出場を表明、その後も、K-1、総合格闘技などの試合に出場、プロレスラーとしても活躍しました。
ご冥福をお祈りします。
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