ども

もう少ししたら上半期も終わりですね

最近したい事があって
ソレは異性と酒飲みながらだらだら喋る

というもの

そういうお仕事してる店行けば良いという考えもありますが
たんに友達が良いなと

別にその後に男女の関係が望むわけじゃなくて

単純に酒飲んで喋って時間になったら帰る
ぐらいがベストで
またね って言って別れる
がちょうどよいのです


子供じゃないのだからと思うかもしれませんが
子供の時はソレが普通で歳を重ねた今でも私にとっては当たり前な事だと思っていたのですが

社会という中では当たり前ではなくて 異端 だったのでしょう

もし 私が人間じゃなくネコだったならそんな煩わしさも無くなるのではないか
飼いネコも野良ネコも
生き方が違っても何する訳でもなく集まってはまた自分の生活に帰っていく

そんな生き方に安易に憧れてしまう

ただ そんなネコ達にも社会が存在します

解りやすいモノで
しっぽの曲がったネコ
です

日本では鍵しっぽと言われて幸福を引っかけて来るという事で良いとされとますがネコの社会では違うのでしょう

うちで飼っていたネコが産んだ子の中に鍵しっぽがいました
体の弱い子ではあったのですがある時から母ネコはその子を遠ざけるようになりました

先に生まれた姉ネコと母ネコは仲が良いにも関わらず鍵しっぽの子だけが二匹からハブられるのです

また 別のネコですが
うちに貰われて来るまで兄弟から相手にしてもらえず独りでいたというネコですがその子も鍵しっぽでした

今うちに居る子も鍵しっぽですが自覚が出る前にうちに来たのでハブられるという経験をせず真っ直ぐ育っているように見えます


先の二匹に共通して見られるのが
劣等感でした

自分は他人と違ってちゃんとした成長していない

という事実を

他人との社会の中で思い知らされたのでしょう

生きていく限り 一人で出来る事は極力自分でやらなければならないが生きていく上で他者の力が必ず必要になる
そういう意味では他者や社会から除け者にされる事実は致命的でソレだけで劣等感を抱くには十分と言えるでしょう


その点で言えば今うちに居る子は劣等感が生まれる前にうちに来たのである意味幸せだったのかもしれません


その子も家ネコとして育てているので外の世界をほとんど知らず自分が他者と違うのだという意識をする機会も無いのです


結果ネコ社会から離れるという事になっています


ソレが良かったのかどうなのかは解りません


そのように他者と他者が集まって社会が生まれ
同じモノ同士のコミュニティから違うものは吐き出される

この煩わしい図式は人間であれネコであれ同じように存在し
また違う点を隠す事で社会に馴染ませる


私が当たり前に思っていた事も社会からみたら曲がったしっぽなのでしょう

他人の違いを受け入れる事は難しく自分の当たり前を変える事は更に難しい

しかしそういう中で社会が出来て
そういう中で社会成立していくのでしょうね。