今日は3月11日

あの日から10年…

3月が忘れられない特別な月になっています。






あの日は今日と違って、冷え込んだ日だったのを

覚えています。

私は少し風邪気味で微熱があったのでテニスを休ん

で家にいました。

娘は小学2年生。学校から帰ってきて直ぐに遊びに

でてまもなくでした。

録画してあったビデオを見ていた私は立ち上がるこ

としかできず…。停電して消えたテレビの画面を

どうしたらいいのか分からず見つめていました。

外を見ると電柱がグラグラ揺れて倒れるんじゃない

かと思うくらい。

我が家は次の日の明け方まで停電していました。

電気はもとより、マンションは停電すると水も出な

くなるということをその時知りました。



停電していたため、震源地がどこなのか、各地が

どのような状況なのか全く情報が掴めず…。

次の日、停電が回復してテレビをつけて愕然としま

した。理解できなかったです。




そして、義理の姉と連絡を取らなくては…と思いま

したがメールも電話も繋がらずやきもきしました。

自宅は宮城県南部。福島県と隣接する被災地です。

後ほど、写メが送られてきました。

自宅まわり、辺り一面そこは湖のようになっていま

した。以前にお邪魔したことがあったのですが、

海がこんなにも近くだったとは思いもしませんでし

た。…というのも、周りの建物が流されて何も無く

なってしまったため、海が近く見えたのです。

当時のお写真、サイトよりお借りしたものです。




義姉家族は震災時刻、みんな家におらず、出先で

被災したため不幸中の幸い。無事でした。

その後、義姉は復興の為ボランティアなど尽力して

いるようです。










忘れてはいけない出来事。

同時に、忘れてしまいたい記憶でもあるのかも

しれません。

でも、まだ終わったわけではありません。

避難生活が続く方々が今なお、4万人超。

語り継いでいかなければいけない出来事です。





YouTube、Yahoo記事、写真、お借りしました。
ありがとうございます。