7月21日は母の79回目の誕生日でした。



350キロ離れた地に住んでいるので(分かりにくい

表現ですが…)実際に会うのは年に2回ほど…。

今年の夏は、娘が受験生ということもあり、帰省の

予定はもともとありませんでした。

今度帰省できるのはいつになるだろうか…。

コロナのこともあり、落ち着くまでは行かない方が

いいんでしょうね。





私が生まれ育った土地を離れてから、今年で25年。

2~3年ほど前までずっと、1ヶ月に一度、母から

荷物が届けられていました。

中身は、食料品の数々。お米やら調味料…お菓子に

至るまで。毎月、ゆうパックで…。

私の母は車の免許をもっていません。

なので、この荷物を自転車で近くの郵便局まで運ん

でいました。

時には父に車で運んで貰うこともあったとは思いま

すが…。




で、2~3年前までというのも、背骨を圧迫骨折し

てしまい…。

それで重いものを持つことは勿論、自転車も乗れな

くなり…。それまで続けていたパートの仕事も辞め

ました。

圧迫骨折をして間もなく…腸閉塞にもなり、入院。




私の記憶の中の母は、座ってじっとしていられない

人。

朝も5時には起きて朝食を準備し、掃除、洗濯をし

て、午前中のうちに買い物を済ませ、昼過ぎから

パートに出かけていく。帰ってきて夕飯を作り…。

毎日、毎日、判で押したような生活。

今の私とは比べ物にならないほど、忙しく動いてい

る人でした。

退院してきた母はすっかり衰えて…。

とても小さく見えました。実際、身長が12センチ縮

んだそうです。

日常の生活は送れてはいますが、以前のように

ちゃきちゃきと動くことは無理です。

買い物にも父が行くことが増えたようです。

母が入院する少し前に、父も車の運転を辞める事を

決め、車を手放していました。

なので、父も買い物は自転車です。




近くに住んでいれば、代わりに私ができることも

あるのですが…。

この歳になって遠くに嫁いだ事が親不孝だったのか

と思うようになりました。

結婚を決めた時、両親は反対しませんでした。

ただ…

「まさか、そんな遠くに行くとは思っても見なかっ

た…」と、母から言われたことを覚えています。




全く知らない土地に来て不安もありましたが、若さ

ゆえでしょうか?

楽しみなことも沢山あり、東京というそれまで

テレビの中の世界だったところに気軽に行けると

いうことに浮かれていました。




この先、娘もいつかは私の元を離れる時が来るんで

すよね…。

そんなに遠い将来ではないのかもしれません。

こればかりは分かりませんが、私が母にさせた寂し

い思いを私もする時が来るのでしょうか…ね。




今、人と会うことを積極的に出来ない状況が続いて

いるじゃないですか…。

こうなってみて改めて人と関わらないで生活するこ

との寂しさを感じます。

たわいのないことでも、会って話すことで心が満た

されていたんですね。




ここの所、ずっとブログを書けずにいました。

なんと言ったらいいのか上手く説明できませんが、

言葉にできなかったんです。

先週の土曜日に、飛び込んできた訃報に心がついて

行けなかったというか…。

今年はコロナのことでも相当なストレスが…。

病は気から…ではないですが、子供の頃から気にし

すぎるところがあるというか…。

ネガティブな性格なんですよね、きっと。




話は逸れましたが…。

会えないけれど、会えるまで元気にいて欲しい。

親不孝な娘でごめんね。

また、電話するから…。






「ルドベキア」の花言葉は「正義」「公平」









写真、お借りしました。
ありがとうございます。