再読 読み解くⅣ 18-11 資料 往生礼讃 関連部分 | 親鸞雑読

親鸞雑読

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往生礼讃

前序

【1】 一切衆生を勧めて、西方極楽世界の阿弥陀仏国に生ぜんと願ぜしむる六時礼讃の偈。

 つつしみて『大経』、および龍樹・天親、この土(中国)の沙門等の所造の往生礼讃によりて、集めて一処に在き、分ちて六時を作る。ただ相続して心を係けて往益を助成せんと欲す。また願はくは未聞を暁悟して、遠く遐代を沾さんのみ。

何者ぞ。第一につつしみて『大経』に釈迦および十方の諸仏、弥陀の十二光の名を讃歎して、「称・礼・念すればさだめてかの国に生ず」と勧めたまふによりて、十九拝、日没の時に当りて礼す。第二につつしみて『大経』によりて要文を採集して、もつて礼讃の偈となす。二十四拝、初夜の時に当りて礼す。第三につつしみて龍樹菩薩の願往生礼讃の偈(十二礼)によりて、十六拝、中夜の時に当りて礼す。第四につつしみて天親菩薩の願往生礼讃の偈(浄土論)によりて、二十拝、後夜の時に当りて礼す。第五につつしみて彦琮法師の願往生礼讃の偈によりて、二十一拝、晨朝の時に当りて礼す。第六に沙門善導の願往生礼讃の偈、つつしみて十六観によりて二十拝を作る。午時に当りて礼す。

安心(どこに心を安定するか)

【2】 問ひていはく、いま人を勧めて往生せしめんと欲せば、いまだ知らず、いかんが安心・起行・作業してさだめてかの国土に往生することを得るや。

答へていはく、かならずかの国土に生ぜんと欲せば、

『観経』に説きたまふがごときは、三心を具してかならず往生を得。なんらをか三となす。

一には至誠心。いはゆる身業にかの仏を礼拝し、口業にかの仏を讃歎称揚し、意業にかの仏を専念観察す。おほよそ三業を起さば、かならずすべからく真実なるべし。ゆゑに至誠心と名づく

 

二には深心。すなはちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し、いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく。

 

三には回向発願心。所作の一切の善根ことごとくみな回して往生を願ず。ゆゑに回向発願心と名づく。この三心を具すれば、かならず生ずることを得。

もし一心も少けぬれば、すなはち生ずることを得ず。『観経』につぶさに説くがごとし、知るべし。

 

作業(四修)称名の修相

【4】

(前略)

また菩薩すでに生死を免れて、所作の善法回して仏果を求むるは、すなはちこれ自利なり。衆生を教化して未来際を尽すは、すなはちこれ利他なり。

しかるにいまの時の衆生ことごとく煩悩のために繋縛せられて、いまだ悪道生死等の苦を免れず。縁に随ひて行を起して、一切の善根つぶさにすみやかに回して、阿弥陀仏国に往生せんと願ぜよ。かの国に到りをはりて、さらに畏るるところなし。上のごとき四修自然任運にして、自利利他具足せざるはなし、知るべし。

 

専雑得失(雑行の十三失)

【6】 もしよく上のごとく念々相続して、畢命を期となすものは、十はすなはち十ながら生じ、百はすなはち百ながら生ず。なにをもつてのゆゑに。外の雑縁なくして正念を得るがゆゑに、仏の本願と相応することを得るがゆゑに、教に違せざるがゆゑに、仏語に随順するがゆゑなり。

 

もしを捨てて雑業を修せんと欲するものは、百は時に希に一二を得、千は時に希に三五を得。なにをもつてのゆゑに。

すなはち雑縁乱動するによりて正念を失するがゆゑに、
仏の本願と相応せざるがゆゑに、
教と相違せるがゆゑに、
仏語に順ぜざるがゆゑに、
係念相続せざるがゆゑに、
憶想間断するがゆゑに、
回願慇重真実ならざるがゆゑに、
貪・瞋・諸見の煩悩来り間断するがゆゑに、
慚愧・懺悔の心あることなきがゆゑなり。

懺悔に三品あり。

【一には要、二には略、三には広なり。下につぶさに説くがごとし。意に随ひて用ゐるにみな得たり。

また相続してかの仏恩を念報せざるがゆゑに、
心に軽慢を生じて業行をなすといへども、つねに名利と相応するがゆゑに、
人我おのづから覆ひて同行善知識に親近せざるがゆゑに、
楽ひて雑縁に近づきて、往生の正行を自障障他するがゆゑなり。

なにをもつてのゆゑに。余、

このごろみづから諸方の道俗を見聞するに、解行不同にして専雑異なることあり。ただ意をもつぱらにしてなせば、十はすなはち十ながら生ず。雑を修して至心ならざれば、千がなかに一もなし。

この二行の得失、前にすでに弁ぜるがごとし。

仰ぎ願はくは一切の往生人等よくみづから思量せよ。すでによく今身にかの国に生ぜんと願ずるものは行住坐臥にかならずすべからく心を励まし、おのれを剋して昼夜に廃することなく、畢命を期となすべし。上一形にありては少苦に似如たれども、前念に命終して後念にすなはちかの国に生じ、長時永劫につねに無為の法楽を受く。すなはち成仏に至るまで生死を経ず。あに快きにあらずや、知るべし。】

(【】部分はここでは引かれない***私註)

広懺

【46】

(中略)

 

懺悔に三品あり。

上・中・下なり。「上品の懺悔」とは、身の毛孔のなかより血流れ、眼のなかより血出づるものを上品の懺悔と名づく。 「中品の懺悔」とは、遍身に熱き汗毛孔より出で、眼のなかより血流るるものを中品の懺悔と名づく。 「下品の懺悔」とは、遍身徹りて熱く、眼のなかより涙出づるものを下品の懺悔と名づく。

これらの三品差別ありといへども、すなはちこれ久しく解脱分の善根を種ゑたる人なり。 今生に法を敬ひ、人を重くして身命を惜しまず、すなはち小罪に至るまで、もし懺すれば、すなはちよく心に徹り髄に徹さしむることを致す。よくかくのごとく懺すれば、久近を問はず、あらゆる重障たちまちにみな滅尽す。

もしかくのごとくせざれば、たとひ日夜十二時に急に走むとも、すべてこれ益なし。なさざるもののごとし。知るべし、流涙・流血等にあたはずといへども、ただよく真心徹到するはすなはち上と同じ。

 

 

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