キャリーのようにコラムを書きたい

キャリーのようにコラムを書きたい

楽しみながら書きたいと思います☆

Amebaでブログを始めよう!
いやはや、流行に敏感な長男、インフルA型わずらい中。

普段は年の差、立場の差を感じさせない口喧嘩相手の6歳の長男も、こんな時はただただそれはそれは愛おしい存在になり、私の中にある母性本能がこれでもかと溢れだす。

母性本能と言えば、夫と話していて、気づいたことがある。

それは、母性本能というのは『女』の本能なのだということ。

ま、母性、『母』なのだから女のものなのは当たり前なのだけど。



それを感じた夫とのエピソードは2つ。

一つ目は、昨年9月、夫の名古屋転勤が決まったときのこと。
単身赴任か家族帯同か。
連日連夜の夫婦の話し合い、また親戚や友人に相談する中で、これは男女というか、父親と母親の決定的な違いだと気付いたことがあった。

それは、男(父親)は毎日子供に会えなくても平気。女(母親)は平気ではない。ということ。

男(父親)も当然、我が子をとても愛している。
でも、その量や強さには差があるのではないか、と思った。
家族を養うために仕事をしている。家族を愛しているが故だ。それはわかる。でも、愛する子供に毎日会えなくて平気という感覚を理解するのに、私は、性別、本能、という答えが一番しっくりきた。


それに関連して二つ目。

これは先日のこと。
既に、名古屋に単身赴任をしている夫に、母性本能云々、つまり上記の話をしていた。
そこで私は夫にきいた。

『男だからとか女だからとか関係なく、これからの人生が選べるとします。まさに今のように、定年かそれ以降も仕事をがんばって、子供との時間は、たまの夜と週末だけの人生。または、今の私のように、毎日毎日子供と過ごし、やりたければアルバイトなどをする人生。』

夫の答えは、仕事をする人生だった。

家族大好きな我が夫ですらこの答え。
びっくりした。
(ちなみに私は迷わず子供アルバイト)

これまたこの回答も、性別、本能というキーワードで私は納得した。


母性本能は女にあり男にない。
つまり、根本的にやはり男と女は違う。。

ひょっとしたらこれは、小さな子をもつ女性の社会進出にも関係するのでは?という気までしてきた。だって、根本的に違うんだから。。


で?!っという話だけど。。


でも、私は、このことに気付いて、夫との意見の食い違いも気持ちよくスルーできるようになった。

まあそれは、私が女でよかったと思っているからなのだけど。。