母の病院、入院記録1
母の肺の小細胞癌が分かったが、転移もしているし、母も実家でほぼほぼ身動きがとれなくなってきているということで、愛媛に帰った次の週、2日後には、弟が母を車に乗せて大阪までやってきました。流れでいくと1月26日 胆管細胞癌だといわれ、紹介で転院。1月30日 松山の病院にて、原発は肺で、小細胞癌だと判明。 血液検査でprogrpが9,316(正常だと81とのこと)2月5日(火曜) 朝10時前~17時半まで滞在@病院 夜中に愛媛出発して、朝には大阪にあるがん拠点病院を受診。 紹介状を持っていったが、 診察前に、全脊椎のMRI検査を受けて診察。 その診察後、頸部ー骨盤 の造影CT レントゲンのうつりにより、小細胞癌だとおもわれること。 病理検査によって、確定診断ができるとのこと。 リンパ節にがんが転移しており、 肺がんより、リンパ節がはれているので、リンパからさきにやっていくとのこと。 CTの結果、気管がリンパ節におされているため、 早く治療しないと窒息死の可能性があるため、 まずは放射線の治療をやっていくとのこと。 お腹の中のリンパ節がちょこちょこある(がんがあるという意味) 2月7日(木曜)入院日 入院前に、造影MRI(検査部位:脳MRI+MRA) 入院 午後に、超音波気管支鏡下針生検 これによって、病理検査できる→抗がん剤の種類が決まる 午前の脳のMRIの結果、 脳2カ所に脳転移あり。1センチ未満とのこと。 ガンマナイフ等の治療法があるが、この病院ではできないので、 ガンマナイフするとなると、転院となる。 全脳照射しましょうとのこと。 1月に受診した最初の愛媛の病院では、手足のしびれが気になっていて、 まず脳神経外科で受診。 念のためで、脳のMRIをとったが、造影剤を使っていないので、 1センチ未満のため、うつらず・・・2月12日(火曜) 放射線治療開始。 細かいことはいっぱいあるがこんなとこだろうか・・・ 現在、私が母を大阪に連れてくるという判断をしたこともあって、 できる限り、母のそばにいてあげようと、病院に行っているが、 幼稚園の半日保育が今週は3日あったり、 土日に家族の時間がとれず、なんだかもやもやすることはある。。。 でも心細いのは母なわけで。。。 できる限りそばにいてあげたいと思っている。 ただ、大阪の病院は、最初の先生からして、とても熱心で、 親身になってくれ、 簡単に余命宣告してくれた松山の病院の先生とは大違いで・・・ 母もやる気になって、頑張って治療を受けようとしてくれている。 延命治療や余命のことあたりまで、 母の前ではふれずに、あとで、 弟と私の二人に個室で相談してくれる時間をとってくれた。 正直、まだこの状態なのに、 抗がん剤治療をすべきなのか?という思いは、 断ち切れていないが、 先生も看護師さんも大方、優しい方ばかりで、 母も安心して、大阪来てよかった~と言ってくれているので、 ひとまず、ほっとしているかな。 代車の車の運転(同じハリアーだけど)は、 乗ってる車と違って、パラマウントビューもないしで、 怖いので、自転車で往復してお見舞いに。 これがまた意外にも簡単で、20分ほどの自転車で 病院に行けるので、案外助かっている。 駐車場代金もかからないし、 自分の運動にもなるから一石二鳥だわ~。 まあ、お見舞い中やることなくて、お菓子食べてるけど(苦笑) 雨の時は、困るから、 車が戻ってきたら、マイカーでも行くの練習しないとなぁ~。 母が今日、 「私(娘)の誕生日まで生きたいなぁ~」と・・・ 私が40才かぁ。 生きられるといいなぁ。 なんとなく母は4月30日が自分の寿命だと思っている。 (余命宣告3ヶ月と言われた日から3ヶ月で) 抗がん剤治療して、延命もいいけど、 もし状態がひどくなったままの状況で延命なら、 つらいなぁ・・・ 母を苦しませているだけのような気がして。 子どもができて、育ててわかったこと、知ったことがあるけど、人は赤ちゃんとして生まれ、赤ちゃんに帰っていくんだなぁと。そうちゃんを生んで、まだ出産間もないころ、何も自分でできないそうちゃん相手に、どうやっていいか分からなくて、不安になって泣いて、けど、私しかこの子を守れないんだと思い、必死で初めての育児をやっていて・・・そのとき、あー、母はこうやって私たちを育ててくれたんだぁと思うとさらに母に対して、感謝の思いがあふれ、涙をだしたことを覚えている。だから今、上手にスプーンが使えなくなっても、トイレに行けなくなっても、わがままいってきても、あー、赤ちゃんに戻っていってるんだなぁと納得してお世話できる。今は病院でお世話になっているから全然たいしたことやっていないけど、家に母が帰ってきても、きっとそんな気持ちで介護、お世話していくんだろうなぁと思っている。