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NPO法施工15周年

みなさん、こんにちは。
ソノリテの江崎です。

2014年も3週間が過ぎました。

みなさんは新年をどのように迎えられましたでしょうか。

私は、お正月は娘とふたり、マイカーで神山に行ってきました。
世界遺産の富士山をちらっと見たり、京都の歴史を感じたり、
淡路島の景色を楽しんだりしながら、
飛行機では1時間の距離を、じっくり楽しみながらのドライブで、2014年をスタートしました。

今年も、東京、神山、茨城の拠点をベースに、
さらにいろいろな方とのご縁を広げていけますように、
誠実に仕事に取り組んでいきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

さて、今日のタイトルはNPO法施工15周年。

先日、内閣府主催の「共助社会づくりシンポジウム」に参加してきました。
そこで、あらためて話題になっていたのが、NPO法が施行されて15周年。
その間、法改正を重ねてこられた、山岡先生など大先輩たちのお話を
あらためて伺うことができました。

茨城NPOセンター・コモンズの横田さんもメンバーになっている
共助社会づくり懇談会というのがあって、人材、資金、信頼性の3つの
ワーキンググループで何度も話し合いを重ねてこられているそうです。
その報告を兼ねた、記念シンポジウム。

3つのディスカッションがあり、それぞれ興味深かったのですが、
そこで話題になっていた、この15年で社会はどう変わったのか。
そしてこれから15年でどうなるか。ということ。

私もあらためて、この15年を考えてみました。

15年前、1998年は、私が放送大学で、恩師の帶刀教授(茨城大学)の授業に
はじめて出たころです。
ちょうど、NPO法が施工されたこと、茨城でも市民事業が始まっていること、
とっても刺激を受けました。

そこで、帶刀先生に頼み込んで、研究テーマをNPOにさせてもらい、
コモンズの横田さんを紹介いただいたのが、1999年ころだと思います。

当時、私は離婚をしたばかりで、娘の智奈美は小学5年生、息子の景介は幼稚園生。
定職もなく、アルバイトをかけもちしながら、通信で大学に通っていました。
早朝の牛乳配達が主な収入源でしたが、牛乳屋さんのご主人にとてもよくしていただいて、楽しく仕事ができて、昼間の時間が自由になって、卓球も一番練習をしていたころでした。

このとき、私はブランディングの大切さ、人と人との顔が見える関係の上にある信頼、について身をもって学ぶことができました。
Y印の事件があったからです。

1軒1軒、配達先のお客さんを回って、代わりの商品を配達するので、とお詫びをして回ったのですが、Y印じゃなくても、お宅の販売店からくる牛乳は信頼しているから大丈夫だよ、と多くのお客さんが継続してくださいました。

これは、ご主人が、お客様一人ひとりと向き合って、信頼関係を築いてこられたからだと思います。このご主人は、先代からこの地域で牛乳屋さんを営んでいました。
雨の日も雪の日も、休まず配達を続けて、集金に回って、世間話をする、そういう当たり前に思えることを継続していたからこそ、ダメージが少なかったんだと思います。

この間、コモンズでボランティアをさせていただきながら、県内各地のNPOを訪問し、当時はまだNPOのさきがけのリーダーのみなさんに、いろいろ教えていただくことができました。
今から考えると、システムとしては万全ではないことも多かったと思いますが、こうあるべきだよな、という使命、ビジョン、に向かって一生懸命に活動をしている方たちに出会えました。
このときの経験がなければ、私は現場のNPOを知ることがなかったかもしれません。

2002年に放送大学を卒業します。
コモンズの理事をされていた吉田里江さんの紹介で、
霞が関のNPOが留守番を探しているから、通える?と声をかけていただきました。
世界の子どもにワクチンを日本委員会との出会いでした。

そのころ、子どもの社会参画について、吉田さんと一緒に学ばせていただいていたので、いい機会だと思ってぜひに、とお願いしました。

細川佳代子さんが代表をしているとか、ACで広告を出している団体であるとか、
ミャンマーの支援を主に行っている(当時はミャンマーだけでした)とか、
まったく予備知識もなく飛び込んでしまいました。

ちょうど、世界の子どもにワクチンを日本委員会が任意団体からNPO法人を取得し、
認定NPOをとる、という時期でしたので、フルタイムの事務局職員として採用をしていただくことができました。

いまから12年前です。恩師の帶刀先生は、NPOで働くなんて無理だからやめなさい、
自分が仕事を紹介してあげる、とまで言われました。
子どもふたりをまだまだ学校に行かせなければならない、お金のかかる時代です。
それくらい、NPOの有給職員は珍しい時代でした。

まだ今より若かったためか、収入にならなかったら、また牛乳配達をがんばればなんとかなる、と思っていたので、お給料や保険など、条件のことは一切気にせずワクチン委員会の仕事に就くことにしました。

ちょうど、時代に後押しされて、認定NPOを申請するプロセスで、今は亡き赤塚先生と出会い、シーズの松原さんをはじめ多くの方にバックアップいただいて、超党派の議員連盟との会議に参加させていただいたり、研究会に参加させていただきました。
ワクチン委員会の認定申請は、足掛け4年、さまざまな課題にぶち当たり、法改正への足掛かりとなる事例をいくつも提出させていただきました。

細川佳代子代表、そして私を信頼し、採用してくださったブーン智津子事務局長との出会いも、かけがえのないものでした。
立場や肩書き、経歴の違いは、その人が背負っている責任の重さの違いでもあります。
それをわきまえたうえで、しかし肩書きやバックグラウンドにこだわらない、本当に平等で信頼して愛する、そんな風に、私を含めた当時のスタッフ、インターンは接していただきました。
そして、どんな困難にも、正面きってぶつかって、そして柔軟にかっこよくやってのける、そんな素晴らしいリーダーのもとで働くことができ、本当に私はラッキーだな、と思います。今でも、ワクチン委員会での人脈と経験に助けていただくことばかりです。

NPO法施行15周年に話を戻しますと、それは本当に、今から考えると面白い経験をたくさんさせていただきました。
まずはじめは、NPOってなあに?っていうことです。
子育てをしていたこともあり、子どもたちが通う学校から、NPOについての研修をしてほしいと声をかけていただきました。
学校の先生たちも、NPOとか、NPOが法人格と取得するとか、まして認定NPOの制度とか、知らないばかりでなく、理解することが難しい時代でした。

それでも、勘のいい先生たちは、これから社会が市民連携、なんて言葉が飛び交っていく中で必要なことだと思われたのでしょう。
国際理解教育を学校で取り入れてくださったり、地域のNPOが出前授業をする、なんていうしくみを最初に採用していただいたり、取手の先生方にはずいぶんと教えていただくことが多く感謝しています。

2005年、ワクチン委員会では、大きな試練がありました。
それまで、ダイヤル募金で、テレビなどでタレントさんが「1本のお電話で15人分の命を救います」というようなキャッチコピーでワクチンダイヤル募金を宣伝していただいたのですが、その収入が激減することになりました。
携帯電話の普及のためです。
ダイヤル募金はNTTのサービスなので、携帯電話からはかかりません。

活動のための基盤になる収入が大幅に減ることが予想されましたので、
別の収入源を確保しなければなりません。
試行錯誤しながら、なんでもチャレンジしました。
企業へは、四季報をみながら片っ端から電話してアポをとる、ゲリラ作戦もしました。
協賛金の獲得件数を競い合って、1位になったら代表とご飯にいく!なんてこともやったりしていました。

企業のCSRと言われ始めていたころですが、大手企業さんでもまだまだCSR部が無いところも多いころ。CSR担当、社会貢献担当の方、と言ってもいらっしゃらない場合は、なかなか担当者につながりません。そういう場合は、どこにつないでもらうのがいいのか、コネクションがない企業にいくにはどうしたらいいのか、スタッフ同士で切磋琢磨しながら、ノウハウが積みあがっていきました。

竹下景子さん、和田毅投手などの支援も受けて、ワクチン委員会の収入が安定するようになるまでに、3年くらい走り続けたのではないかと思います。
今では、企業と契約をする形で、ワクチン支援のしくみが確立されました。

その後、2009年秋から2010年春にかけて、長年お世話になったシーズで仕事をさせていただきました。税制改正、つまり認定NPO法人制度の改正が大詰めでした。
全国の関係者の皆さまの努力が実り、2010年の改正が実現。欧米を超える寄付税制ができた、と言われています。
先輩方が重ねてくださった実績が実る時期に、税制改正の一端に関わらせていただけたことに感謝しています。

私自身は、2010年から独立、ソノリテを設立します。
1998年に初めてNPOに出会ったころから、ひとつの活動、ひとつの組織ではなく、
いろいろな活動をしている方たちの裏方として、バックアップできるような仕事がしたい、と思っていましたので、期せずして念願の仕事を始めることができました。

最初は、そんなに仕事もないかな、とのんびり構えていたのですが、現在は私を除く全員が非常勤、または在宅スタッフですが、東京と徳島、あわせて8名ほどのスタッフと一緒に、30団体以上の募金活動をお手伝いしています。

非営利組織だけをターゲットにして事業を始めることに、本当に収益につながるのか、と懐疑的なかたも多くいらっしゃいましたが、設立から4年、なんとか倒れずに今日に至るのは、社会がNPO活動を必要としているから、NPOや市民活動が活躍されているからこそ。

NPO法施行15周年、振り返って感じるのは、思いがけない変化が日々起こっていた15年。しかし、こうなってほしい、と願う方向に確実に進んできた15年だったように思います。

今回のシンポジウムに参加して、あらためて15年を振り返る機会になりました。

さて、これからの15年、たぶん、今よりは確実にNPOや非営利組織が社会のひとつの役割りを担うセクターとしてマーケットが拡大しているのだろうと思っています。
そのときに、私たちは、どんな仕事をしているでしょうか。

1998年に最初に出会って衝撃を受けた概念、それは、「ひとり一人が主役の世界をつくる」という考え方。
それを実現させる器がNPOです。

そのときに、必要とされるサービスを提供できる会社としてソノリテがあるといいな、と思っています。

できることはやったらえんちゃう、の精神で。