生きる力
2011年3月11日(金)14時46分
東北地方太平洋沖地震が発生した。
私は、息子の中学校の卒業式に出て、午後から出勤するところ。
10年前に離婚をした父親が、初めて息子の学校行事に来てくれて、
一緒に昼ごはんを食べた直後、じゃあ行ってくるね、と家を出て、
電車に乗って15分後の出来事だった。
不登校、家庭内暴力、と反抗が続いた中学校生活、
辛抱強く見守ってくれた、担任の先生、学年の先生方に感謝で、
思わず涙がこぼれた卒業式。
高校は、父親のもとから通う、ということになり、
父親も、これまで親らしいことができなかったから、
面倒を見る、という気持ちになってくれた。
大人になる道のりだ、と自分を納得させる、
そんな複雑な気持ちで、仕事に向かった。
北総線、青砥駅直前で、電車が大きく揺れて緊急停止。
ただの地震ではないことは、緊急停止のアナウンスが流れ続けていることから、
想像できた。
車掌さんが、笑顔を絶やさず、
「あわてないでください、電車の先頭車両は青砥駅に入っています。
心配ありません、ホームに降りられますので、あわてないで前のほうに移動してください」
しばらくは、ホームに出ても寒いだけ、と車内で待っている人も多かったが、
余震のたびにかなりの揺れ。
だんだん不安になる。
「復旧の見込みが立たないため、ホームに降りてください」とのアナウンス。
家に残してきた息子のことがまず心配になるが、父親が一緒のはず。
メールは送信できるが届いているかわからない。電話は通じない。
娘は、東京駅のデパ地下で働いている。
店長さんたちと一緒なら、万が一のときも避難しているだろう。
祈るしかない。
オフィスにいるスタッフは?電話は通じない。
そうしていると、オフィスのスタッフから、インターネットのメールで
報告が入る。無事。
幸いにも、長崎にいる根本が、すぐにメールで情報収集を
してくれた。
家族、オフィス、クライアント、みんな心配。
私は、どこに駆けつけたら役に立つんだろう。
体は一つしかないから、判断が大事。
i-phone のgmail と、twitterが情報収集の手段。
いけない、充電が切れそう。
青砥駅を降りて、ファーストフード店で充電をしようと探してみる。
ロッテリアの店員さんたちがとても親切に、充電ができるコンセントのある席を
探してくれる。
すでに、火を落としていて、販売は飲み物しかできません、
ただ、あたたかい部屋で待っててもらって構いませんから、と
お店を解放してくれている。
隣に座った主婦の方たち、携帯で連絡がつかないとやきもきしているので、
携帯はつながらないです。公衆電話が無料開放されているそうです、
公共施設も、解放されていますよ、とtwitterに流れている情報をお話しすると、
喜ばれた。
情報って、こんなにもないと不安になるんだ。
ロッテリアの店員さんがきて、今日は、電車の復旧の見込みがないとの発表があり、
18時で閉店します。申し訳ありません、とのこと。
オフィスは、余震が続いている。気になる仕事は山積だが、オフィスに
行っても仕事にならないだろう。
スタッフは、歩いて帰れるところに住んでいるので、戸締りをして帰るように指示。
在宅勤務のスタッフにも、twitterで連絡がつく。1歳と3歳の子どもを抱えて、
しかもマンションの11階に住んでいる、さぞ揺れたんじゃないだろうか。
心配だったが無事とのこと。
そうしていたら、自宅の息子からのメール、とりあえず無事みたい。
父親は、自分の家に帰ったらしい。
ガス会社に勤めているから、出勤もあるかもとか。
ってことは、一人なの??もうすぐ夜なのに。
いくら、普段放任な私でも、こんな日に一人って?
さあ、覚悟を決めて、自宅まで歩こう。
連絡とりたい人がたくさんいるし、何より、子どもたちが心配だ。
娘は、twitterで連絡がついた。
銀座で夜を明かし、翌日も出勤になったとか。
母が、新鎌ヶ谷駅で足止めらしい。
70近いのに、シルバー人材で働きに行っている、
寒い中、立ち往生しているに違いない。
車が出せたら、迎えに行けるのに。
中国に住んでいる友人からも、私の家族のことを気遣ってくれる
つぶやきが。ありがとう。勇気になる。
とにかく、自宅に向かって歩き始める。
いつも電車で通過している駅なのに、北も東もわからない。
i-phoneの地図を頼りに、大通りを歩く。
そういえば、千代田区のボランティアセンターで、避難訓練で、
帰宅困難にあったときのために、徒歩で自宅まで帰ってみる、
というのをやっていたなあ、と思いだす。
余震は続いているものの、町は何事もなかったかのように静か。
バスもタクシーもとおっているが、タクシーは長蛇の列。
茨城NPOセンター・コモンズは、つくばでセミナーをやっていたはず。
しかも、今日の講師は日本ファンドレイジング協会の鵜尾さんだったはず。
twitterで無事との確認が取れたが、つくばも停電。車は大渋滞みたい。
静かな町を、とにかく歩く。
仲川、江戸川を徒歩で渡ったのは初めてのこと。
川沿いは、風が厳しい。
同じように、徒歩で帰宅する人たち。
日本橋から歩いてきたというサラリーマン。
今日、ぺったんこの靴でよかった。
みんな、うちに帰ろうと必死。
家族が待っているから。
2時間ほど歩いて、松戸市内に入る。
ようやく、よく知った道に出る。
市民活動センターの前を通ったが、電気もついていない。まだ7時なのに。
災害のときの情報センターにはならないのかなあ。
あらためて、地元のことがわからないことに唖然とする。
セブンイレブンで、トイレを借りて、あたたかいお茶で一息。
公衆電話を待っているひとたち、みんな、家族に無事を伝える。
自宅に電話をしたら、母もたった今ついたとのこと。
相乗りタクシーを捕まえて、早く帰れたわ、とのこと。
さすが。黙って待ってる人じゃなかった。
いつも行く、回転ずしの近くのセブンイレブンだから、
歩いて帰るから待っててね。
あと1時間は歩くから、肉まんを1個、かじりながら歩く。
歩きながら、家族のこと、親戚、友人のこと、
被災地のこと、考える。
寒いだろう、恐ろしいだろう、痛いかもしれない、
でも前に進もう。生きよう。
家族がいるから、友人がいるから。
お金じゃない、ものでもない、
あたたかいお茶と肉まんは、ありがたかったけど、
私を3時間、歩かせてくれる力になったのは、
あなたたち、家族がいたから。
一緒に仕事をする仲間がいたから。
頼りにしてくれる人たちがいたから。
明日は、ちよだボランティアセンターの講座で、
講師を頼まれていた。資料を送る約束が、果たせていない。
センターの職員の方たちは、全員泊まり込みらしい。
電車が動いたら、講座やります、との連絡。
よし、早く帰って、資料を送らなくちゃ。
結局講座は中止になったけれど、
みんな、ベストを尽くそうと、励ましあってがんばっている。
旧知のプロデューサー、タロオさんからのつぶやき、
「新宿周辺の人、困ったことがあったら連絡ください」
何ができるかわからないけど、そういわずにいられない状況。
また勇気をもらう。
ミャンマーを襲ったサイクロン、災害から9か月たった被災地を
視察したときにも感じた。
この人たち、4人に一人は亡くなっている。家族や、親戚、
友人の死に直面しているに違いない人たち。
みんな、優しい。そして、力強く生きていた。
ありがとう。
日本は、平和な時代が続き、大事な何かを見失っていたような気がする。
たった3時間、歩いただけ。たった1日、電車が止まっただけで、
私たちはこんなにも日常生活に支障をきたす。
でも、私たちは、まだ力があるはず。
被災地のみなさん、生きる力をどうか忘れないでください。
私たちソノリテは、被災地のみなさんを応援します。
江崎礼子