地上波でハリポタ祭がやってると、思わず見てしまう。
映画は端折りすぎだし、原作と違ってキャラクターが無口だからあんまりすきじゃないけど、それでも見てしまう。泣いてしまう。
『死の秘宝』は当時本当に衝撃的だった。
ダンブルドアが、ハリーが死ななければならないと知っていながら、ホークラックスを破壊させていたと知ったときの絶望感。
しかしここで、『謎のプリンス』の言葉を思い出す。
死に直面する戦いの場に引きずり込まれるか、頭を高く上げてその場に歩み入るかの違いなのだ、とハリーは思った。その二つの道の間には、選択の余地はほとんどないという人も、たぶんいるだろう。しかし、ダンブルドアは知っている - 僕も知っている。そう思うと、誇らしさが一気に込み上げてきた。そして、僕の両親も知っていた - その二つの間は、天と地ほどに違うのだということを。
今でも諳んじられるくらい、ハリーポッターの中で一番印象的な文章。これがあるからこそ、『死の秘宝』での
もちろん君の頭の中で起こっていることじゃよ、ハリー。しかし、だからといって、それが 現実でないと言えるじゃろうか?
が生きてくる。
物事をどう考え、どう捉えるかというのはもはや現実で、重要なことなのだと教えられた。
『死の秘宝』と高校生のときに出会えたことは、人生に大きな影響を与えたと思う。
そして、作品の一番のテーマである、愛。
これも『謎のプリンス』『死の秘宝』で理解できたこと。
ハリーがあんなに勇気があって、いつも命拾いができて、最強の敵ヴォルデモートに打ち勝てたのは、血筋でも才能でもない。愛があるからこそだった。
両親を殺したヴォルデモートが憎いという家族への愛、魔法界や大好きなみんなを守りたいという愛…。
一番わかりやすいのが『死の秘宝』の必要の部屋、窮地でドラコを救うという愛。
ドラコを救わなければ、死の淵から戻った後ナルシッサはハリーに鼓動があることをヴォルデモートに伝え、すぐさま殺していたはず。
愛こそ最強の魔法なのだと思った。
ハリポタ祭の影響か、日経ウーマンの哲学コラムがハリポタネタだったけど、トンデモ記事だった!
血筋、この本においてはとてもデリケートなネタなのに簡単によい、悪いと使うなんて! しかもロンの血筋が悪い? 何を言ってるんだー!兄弟みんな優秀だし。純血の家系だし。ロンが劣等感を抱いてるだけ。
ハリーは死の秘宝を手にした三兄弟の末っ子、イグノタスの子孫だから、確かにすごい血が入ってる。だけど、絶対この執筆者はそのことを指してるわけじゃないよね。母のリリーはマグルだし。
大事なのはハリーの血筋でも才能でもなく、ハリーが愛をもっていることなのに!!
こんないい加減なコラムで、ハリポタの世界を誤解して欲しくないなあ。