父が 病気になってから
父とは、よく話すようになりました
確かに
スケジュールや、約束ごとの確認 のために
( 忘れてしまうので ) 話をしたり
失ってしまった “ 脳 ” の機能が
刺激によって
少しでも 回復するのではないかと
意識をして 話しかけている
ということも、もちろんあるのですが
『 父と いろんな話をしてみたいな 。。』
今は、その思いが 強いのです
今回は
“ 父という存在が、私の中で変化した ”
ということについて、書いていこうと思います
大嫌いな父
数年前の私は、父のことが大嫌いでした
「 この地球上 ( 壮大な話になります ) で
同じ空気を 吸っているのかと思うだけで、ムカつくーーーー」
と、まあ、こんな感じで
“ 大嫌い ”の度合いが、ハンパなかったのです
父は、私が 物心ついた頃にはすでに
単身赴任をしていましたので
“ 一緒に 暮らしていなかった ”
といっても 大げさではないのです
1ヶ月にいちど 帰ってくる
『 おじさん 』
でしかなかったのです
そして母からは
父や、父の親族の悪口を、散々聞かされていました
( 母は、いじめにあっていましたので )
これでは、父に良い印象は、持ちませんよね 。。
大人になった私も
独りよがりで、自慢ばなしと
攻撃性のある会話に 嫌気がさして
父と話をするのを、さけていました
その後、私は 自分と向き合っていく中で
そんな父を、受け入れることが
できるようになったのですが 。。。。
なにか? 引っかかっているものがあって
“ 全てを 受け入れる “
までには、いたらなかったのです
そんなとき、父が 脳梗塞になったことによって
私の中で 変化がおこりました
記憶障害の父の記憶にあった 家族愛
それは、言語のリハビリに 同席しているときの
父の記憶 に触れたことで おこりました
記憶障害の中で 語られる
父の人生の 軌跡の中には
家族との思い出が、あまりにも 少なすぎたのです
小さい頃の私たち兄弟のことを、知らなすぎる
先生から、私たちが 小さいときのことを聞かれても
答えられない
それは、記憶障害のために
答えられないのではなくて
知らないから、答えられないのです
そして、仕事にまつわることは
時系列が、バラバラだったりしたのですが
家族のことを 話すときとは違って
今まで頑張ってきたことを
誇らしげに、そして自信満々に、楽しそうに
話をしていました
そして、その当時の思いを
そこではじめて 知ったりもしました
言語のリハビリを、繰り返していく中で語られる
父の記憶の中に
家族との思い出が、なさすぎることに
衝撃 を受けたと 同時に
もうひとつ、私の心を 揺れ動かしたのは
その 少ない家族との思い出を、父は
とても大切にしている ということを
つたない言葉の端々で、知ったことでした
私の中の変化
そういえば 。。私も父との思い出って、あまりない 。。
それに 。。父のことを 私も知らなすぎる 。。
というより 。。私は、父をみようとしていなかった
と、私も 今までの人生を振り返りました
嫌いであった当時の私は
父をいないものとして、ほぼ無視していましたので
( 他の家族も、父を 嫌っていました )
そんな態度をする娘を前に
どれだけ苦しんで、悩んでいたことだろうと
今は 胸を締めつけられる思いで、いっぱいです
父が
家族を愛していたこと
大切に思っていたこと
それを、脳梗塞になったことで
父の口から、知ることができました
家族から、認められないって
これほどさみしく、ツラいことってないですよね
だから、父の横暴ともいえる、あの態度と言動になるのは
しかたないと、今なら 腹落ちします
そして、この出来事によって
“ 引っかかっていた なにか ”
が はずれて
父の全てを、受け入れることが できるようになりました
でも、、、思うのです
私が、父を 受け入れたのではなくて
受け入れて もらいたかったのは 。。
私のほうだった、ということを 。。。
このようなことがあって
私の中では、今やっと
4人家族に なったように感じているのです
ここからまた、新しい家族の思い出を
作っていこうと 思っています
人間愛を知る 。。
今日はこの辺で 。。
では、また~