父が 脳梗塞になりました
ショックでした
救急外来へ
父の様子、言動や行動から『 脳梗塞 』をうたがって
脳外科の医師 がいる病院
なおかつ、脳梗塞の処置が 出来る病院
をさがして 。。
その日は、休日でしたので
結局、3次救急の病院に、お世話になりまして
やはり、予想通り 。。『 脳梗塞 』の診断をうけました
そして今、私や家族が、ひと息つけるようになったので
ブログを書いています
看護師として 強く言わせてください
看護師として、これだけは、強く言わせてください
『 脳梗塞をうたがったら、即座に 病院へ行ってください!!』
( すぐです! 迷っていてはダメです!)
それくらいの、意識を持っていたほうが いいですよ
というのは 。。
脳梗塞を 発症してから、4~5 時間内でしたら
『 tPA療法 ( 血栓溶解療法 ) 』
という、閉塞した血栓を 溶かして
血流を再開させる、治療ができたり
8 時間以内でしたら『 血管内治療 』
それ以上、時間が経っていたとしても
薬物療法で
脳細胞の 障害の進行を防いだり( 24時間以内 )
血栓が できるのを防いだり
血栓が 大きくなるのを防いだりする など
( 24~48時間以内に開始するのが、望ましいといわれています )
急性期の薬物治療が
効果的に、作用してくれる可能性 があるんです
このように、治療の開始が、早ければ早いほど
後遺症が残るリスクを、おさえることが できるんです
ですので 。。
うたがったら、すぐ! 病院 に行ってくださいね
( たとえ間違いだったとしても、いいんです
診断を、キチンと病院で受けてくださいね )
治療の方向性
父は、急性期の薬物治療を、うけることになったんです
はじめの2日間は、強めに
その後、20日間は、少し強めに、薬を使うことになりました
( 次回、薬の紹介もしますね )
それから、言語聴覚士によるリハビリも
開始になる予定です
意識障害・言語障害は あるものの
命に 別状がなかったこと
体のマヒは、わからない程度で おさまっていること
これだけでも ” よし “ としよう
と、家族で 話していたんです
ガンコな父
ウチの父はですねーー
ものすごいガンコなんですよーーー
今回も
“ どこも悪くない!! 病院なんて行かない!! 行く必要もない ”
と、相当 ゴネましてね
具合が悪いことを、認めようとしなかったんですよ
緑内障で、右目の半分が 失明しているときも
“ 病院の先生が、手術したほうがいいと 言われた ”
と聞いて、病院に付き添っていって、事実を知った 。。
こんな感じでしたので
今回も、自分から具合が悪いとは、言いませんでした
私が、たまたま話した時
顔つきが、しまりがなく、ぼよーんとしていて
できていたことが、できなくなっていたんです
( パソコンのパスワードがわからない、操作がわからない )
これらのことで、気づきました
父は
人に 弱さを見せない・見せたくない
弱い人間だと、思われたくない
いつも強くありたい
この歳 ( 82歳 ) まで、大きな病気をしていなく
薬も飲んでいないことが、自慢だったんです
( 緑内障にはなりましたけど、内科的な病気の話です )
人から干渉されるのも、嫌がりますし
とにかく
なんでも知っている・出来る自分であることが 誇りなのです
そうではない自分は、父の中では 嫌なんでしょうね
今回、こういう状態になっても
いつもの自分を、保とうとしますからね
それでも、救急で、何回も 先生と話をするうちに
「 2日くらい前から、自分が 変になってしまうような感覚があった 」
なんて、ようやく言った
( 白状した! そして、弱い自分を少し認めた )
感じ 。。でした
そんな父です
意識障害・言語障害の程度が
脳梗塞と 診断がついた時から、少し回復をしているのですが
父の頭の中・記憶の中で
何が はっきりしているのか
何が わからないのか
それによって
どういうことが、危険につながるのか
父を観察して
病気をしてもなお、ガンコ一徹な父が
安全な生活を 送れるように
サポートしていこうと思っています
なんせ、唯一、耳をかすのは
私たち兄弟の言葉だけなのでね
今後、父の脳梗塞のことについても
書いていこうと 思っています
人間、当たり前の日常を、大切にね 。。
今日はこの辺で 。。
では、また~