記憶には残っていないけど、アルバムに写真があるので、多分、幼少期に親に連れられてここへ来たことがあるはず。
自分の意思で来るのは初めて。
木曜日、平日。
無料の駐車場はガラガラ。
正門へ向かうも入って良いのかわからず、案内板などを見ているうちに、おまわりさんが門の向こうから歩いて来た。
(交代の時間なのかな。)
おまわりさんに尋ねると、一般の人も参拝可能ということなので、正門から堂々と入ってみた。
参道には池があって観賞したい誘惑にかられるけど、亀さんよりも先にお墓で眠る方々へご挨拶しなければ。
砂利の上を歩く自分の足音と
少し遠くに聞こえる車の音。
お手入れが行き届いた木と
電線が一本もない空。
外出先や珍しい場所ではいつもたくさん写真を撮ってしまうけど、ここではあまり写真を撮るのは憚られる。
自然とそういう気持ちになった。
神聖・荘厳・厳粛
霊感めいた感覚が
全くない私でも、そう感じた。
伊勢神宮でもそういう感覚はわからなかったのに、なんだろう、この空気感は。
人が少ないから
キャッチしやすいのだろうか?
ここは神社やお寺ではなくお墓。
手を合わせて祈るのは
上皇陛下、上皇后様、
天皇陛下、皇后様、
皇室の皆様が御健康でお幸せに
お過ごしになりますように
そういう参拝の仕方で
合っているのかな?
よくわからないけど、この素晴らしい場所へ訪れることができたことへの感謝と、皇室の方々のご健康を祈る気持ちは本当だ。
ここは観光地化されていなくて静かで良い。
間違っても外国人観光客に荒らされてはならない。
御陵の近くでは植木のお手入れをする職人さん、正門の外には草取りをする方達がいた。
植物を愛する昭和天皇が
“雑草”という草はない。
植物には全て名前がある。
と仰った、という逸話を思い出す。
牧野富太郎の言葉らしいが、私が聞いたのは、昭和天皇のお言葉としての方が最初だった。
草取りをする時、いつもいつもこのお言葉が頭をよぎる。面倒くさくて夏は本当に嫌になる作業だけど、この草たちには罪はない、そう思えるようになったのは、昭和天皇のおかげです
また参拝させて下さい